まだ語りたいLove wins all

 

監督によるMVの解釈ガイドなるものが公開されたようで読んでみました。

https://naver.me/GsPun2Sx 

 

 

さすが考察アミのみなさん!

概ね監督が意図した物語の設定を、多くの方が見事に考察されていましたね✨(いつも考察の恩恵にあずかり感謝です)

 

解釈ガイドによると、

 

”「四角」によって肉体が消滅し、彼らが羽織っていた「服」だけが残ることになる。 2人は最後のビデオカメラ画面で彼らが空中に浮び上がると暗示されるが、これはあらゆる抑圧と圧迫から抜け出し自由に飛んでいけることを意味する。 ”

 

とのこと。

 

この箇所を読んで私が思い浮かべたのは「最後の審判」です。

キリスト教では終末を迎えた時、肉体を失った魂は最後の審判を受けるという思想があります。

この審判によって天の門が開かれるか否かのジャッジがくだされるわけですが、そこでは地上における地位や名誉、富や財産はなんの意味も成さない。

 

”問われるのは愛”

 

と、私の尊敬する司祭は言っていました。

地上でどれだけの愛を捧げたか、自分の行いにどれだけの愛を込めたか。

 

MVでの最後の時、2人が問われたのはやはり愛だったと思うのです。

2人が、お互いにお互いを最後まで守ろうとした、その愛が勝利し「あらゆる抑圧と圧迫から抜け出し自由に飛んでいける」つまり、地上のディストピアから天上のユートピアへと旅立ったのではないかと思いました。


そして、

 

”ビデオカメラのレンズはすぐに愛のフィルターを意味します。また、人物の内的あるいは外的な姿を越えて世界の美しいものを眺めることができる重要な装置と見なすことがでる。”

 

という部分を読んで思ったのはテテちゃんのあの言葉。

 

🐻「良いものだけを見て、綺麗なものだけ着て、美味しいものだけ食べてください」

 

ビデオカメラに映された2人の美しい顔も、綺麗なドレスとタキシードも、美味しそうな食べ物も、それはあの時テテちゃんがアミに言ってくれたような世界だったように思います。

テテちゃんは私達に、愛のフィルターを通して美しい世界を見ていてほしいと思っているのかな。

 

そもそもこの曲は、IUちゃんが、自分のことを愛して信じてついてきてくれるファンに捧げたファンソングとのこと…

そう考えると、最後にIUちゃんがテテちゃんの左目を優しく覆ったのは、ファンのみんなにも、恐ろしいもの、おぞましいものを見て欲しくない、美しいものだけを見ていて欲しいという愛の表現なのかもと思いました。

私はIUちゃんのことをよく知りませんが、彼女のファンへの想いは、テテちゃんがアミを想う気持ちときっと同じなんだろうと感じました。

 

この曲は、見る人、聴く人の心に様々な愛の形を成すのでしょう。

IUちゃんの曲だけど、テテちゃんからの愛も受け取らせてもらいました😌

2人に心から感謝✨✨