こんなこと言ったら,多くの人を怒らせてしまうのだと思います。

 

生きたくても生きられない人がいるように

 

死にたくても死ねない人がいる。

 

 

この2つを同列に扱うことは,今を懸命に生きる人々を

 

侮辱する行為にほかならない,

 

そのように考える方がいるのも当然でしょう。

 

 

しかし,判例によれば,

 

「生命は尊貴である」

 

という1つの理由だけで,日本では

 

どんなに肉体的・精神的苦痛があろうとも

 

死ぬ権利

生存権の放棄

自己の生死に関する自己決定権

 

これらすべてが,認められていないようです。

(間違っていたらすみません)

 

 

つまり,

 

何があっても生きなければならない。

どんなに辛くても死んではならない。

 

生命は尊貴であるから。

 

 

命は尊いものであるという考え方は概ね間違っていないのだろう。

 

だが,この誰が決めたのか分からない命の価値が

 

なぜ,幸福追求の権利であるところの自己決定権を

 

覆すような根拠足り得るのだろう

 

自死を認めない理由が,「公共の福祉」に反するから

 

という方がまだ理解できる。

 

人口が減少しすぎれば,生き残った国民の

 

文化的な暮らしの水準が保てなくなることが予想されるからだ。

 

――ただしこれに関しても,資源の枯渇が懸念されている

 

現代においては,地球規模で見れば人口減少は

 

負の側面ばかりではないとも考えられるが。――

 

 

 

本当に

 

この世界で寿命を全うすることが

 

自分で命の終わる時を定め,

 

そこまでを生きることよりも

 

幸福であると

 

尊いことであると

 

言い切れるものでしょうか。

 

 

私はこの問に納得できる答えを未だ見つけることができず,

 

強い自死願望を持った生徒を目の前にしたとき,

 

教員をやめることを決断しました。