夏休み期間に配られる「問題集や日記欄などがまとめられた冊子」があって、それを何と呼んでいたか…知人達との会話の中で、「アレ何ていったっけ?」についての議論が発生しました。夏休みの宿題はどういうペースで片付けていったか、が話題の発端だったような気がします。大体最後まで自由研究が残ってしまったり、そもそも夏休み終了間際まで手を付けずギリギリまで放置して結局泣きながら数日間ほぼ徹夜をして登校日をむかえていたとか、親に手伝ってもらいすぎてバレて先生に叱られた、等々のほろ苦き思い出が多数…その一方で宿題はいつも7月中には終わらせていた、という優等生だった方もいらっしゃいました。
さて、「件の冊子」の名前ですが、殆どの知人は「『夏休みの友』だった」と言います。国語と算数の問題集と日記帳が合体したようなぶ厚いもの…という形態も似ていたので、私たちの世代の一般的な宿題アイテムは「友」だったんだねぇ、友にしては仲良く出来ない内容だったねぇ、と懐かしさとちょっとした学校への理不尽さに各自キュンとしておりました。
我が母校では、当時は日記帳のみの冊子「夏の生活」が配布されておりました。A4サイズより一回り小さめな冊子でして、毎日1ページ日記をつけます。中にはページ内に「英語の詩」が書かれている場合もあり、それは看過してはならず和訳をするよう命ぜられておりました。詩の和訳は難しく、出来上がったものを読み返しても意味が分からない日もありました。しかも約週1ペースの出現率。英語の詩つきページの日は、なかなかの精神修行日でしたね。一日に書く量は縦書きで10~15行くらいはありました。「ためたらキツくなる」と悟り、他の宿題たちより優先していたっけ。自由研究は生徒自身でトピックを決めて、1年を通してそれについて調べたり実験したり体験する「私の研究」と名付けられた企画が既に課せられていたため、自由研究そのものはありませんでしたが、「私の研究」は学年末に発表会があるため1年間逃れれなかったなぁ。1年かけられるので、秋田で祖母と母とで手作り味噌づくり!なんてこともやったりしました。秋田(東京よりはカビたりいたんだりしにくいらしく)で作ったので、管理と監修が祖母おリュウメインになっちまいがちでしたが。