もうすぐ2012年 | アメと無智

アメと無智

いろんなことに興味と好奇心を持っています。
時には無智を曝け出して語ります。
なるべく誰にでも伝わりやすい文を書きたいな(>ω<)

あの震災から早9ヶ月…


あの時私は初めて震度5を体験する。
たまたま旦那が休みだったので一緒にゴロゴロお昼寝していたら、
なんかベッドが揺れている…?
最初旦那がイタズラして揺らしているのかと思ったくらい。
慌ててまずは玄関扉を開けに行き(建物がゆがむと開かなくなると聞いたことがあるので)、すぐ子ども達のところへ走り、全員を玄関へ集める。
結局何も被害はなかったけれど、計画停電には悩まされました(-ω-;)

友人が親類の無事を確認しに行くという話を聞き、GoogleEarthで通れる道を探したり、
ネット上に集められた生存者名簿画像をテキスト化して、まとめる作業を始めました。
その活動に乗ってくれる方がたくさん現れたり、探している人が見つかった!と喜ぶ人がいたり…
人の絆を感じたひと月でした。
その後1ヶ月くらい、ネットでずっと活動を続けていました。
それまで放置していたアメブロが、ものすごく活躍してくれて驚きました。

その時に知り合い、未だに交流がある方がいらっしゃるのですが、
探していた人の遺骨がまだ見つかっておらず…
場所的に、もう海へ流されてしまったと思うのですが、
それがわかっていても、まだまだ割り切れない様子(o´・ω・`o)
その人にはとても大事なことを教えてもらった気がします。

私は今まで、進みたい方向があるならばそれに向かってひたすら努力して、
ただ突き進んでいけば幸せになれるものだと信じていました。

悩むくらいだったら、正しいと思うほうにすぐ突き進めばいい。努力すればいい。
悩んでいる時間なんて勿体無い。
納得いかないのであれば、自分が納得するまでとことん突き進めばいい。
ずっとそうやって生きてきた。それが絶対的に正しいのだと思っていました。
そうすれば悩みなんて、迷いなんて無くなるんだと。

でも、実際は違うことだってあるんですね。
人の気持ちってそんなに簡単に済むものじゃあない。
毎日毎日、生存者名簿をチェックして、死亡者名簿もチェックして、
跡形もなく消え去った我が家の周りをうろうろして、周囲何㌔も捜索し続けて、
似ている人がいると聞きつければ、吐きながらも腐乱死体を見て周り…
DNA鑑定までして、終わりの見えない人探しを続け、
出会った人に口癖のように、この人を知りませんか、と聞き続け…
それでも見つからなかった。

思うほうに突き進み続けているのに、何度挫けても頑張り続けているのに、
その人のしていることは一向に報われません。
時間が傷を癒すはず、とも思いましたが、傷は癒えぬまま。
心の平穏はどこにあるのでしょうか。
諦めるしかなくて、大事な人を諦めたら彼女は楽になれるのでしょうか。
諦めたら、諦めたことを後悔する日々が続くのでしょうか…。

私がこれまでどんなに苦しく、辛くとも、問題を解決できたり、前へ進み続けられたのは、
自分が強いからじゃない。
どうにもならないことだってあるんだって。

私にとって、それはすごく悲しくやるせないことでした。

ずっと一緒に探してきたけれど、
もう「頑張って」なんて言葉、なんの意味もなくて言えないし、
「諦めよう」「折り合いをつけよう」なんて酷いことも言えない。

大切な人のこと、いろいろ考えさせられました( ノω-、)

2012年、どうかみんなの笑顔が戻りますように。