たとえば納豆に見る、人との関係。 | 画家の雑記帳

たとえば納豆に見る、人との関係。


とうとつだが・・
私は納豆がきらいだ。。

仮に、、職場のお昼に
スタッフが納豆を食べていても
文句も言わないし、
軽く匂ったって我慢する。。(笑)

まぁ、納豆の例は極端だとしても、
個人的な食べ物の好きずきに
いちいち文句をつける人もいないと思う。。

さて、話しは変わるが
世の中には・・
どこか、、人間は「話せばわかる」的な
理解しあわなきゃいけない、
というような感覚にとらわれてる人も
多かれ少なかれいるような気がする。

たとえば、、親子の関係などでも
「どうして、あなたはこうなの~」
みたいな。。
つき合ってる恋人同士でも
「あ~、理解できない」的な
そういうことは多いと思う。。

自分もまた、つき合ってる女性なんて
まったく理解できないことばかりだ(笑)。
けれど、、理解なんてしようと思ったら
1ヶ月で終わっていただろうな。。

でも大袈裟な例でいうと、
たとえば中国とか違う国
にいって、、そこで知り合った人と
理解しあおうと思っても難しい場合の
ほうが多いと思う。。
文化も違えば、、教育も違うし。。
いちいち、自分の感覚との違いに
イライラしてたら、旅なんてとたんに
つまらないものになってしまう。。

やはり、なんというか、、
「受け入れる」ということが
大事なんじゃないだろうか。。
自分とは「違う人」として。。
彼女は納豆好き、でも僕は違う。みたいな(笑)。

もちろん、どうしても理解できないうえ、しかも
自分に災いが降りかかってくるような場合は
別として、、、
それ以外のことは、、国籍は同じだけど
違う人種というくらいの見方であったほうが
人間関係ストレスたまりにくいと
思うんですよね。。

なんでも自分の思い通りならなきゃ気が
すまない人とかは、、いい加減、
人はそれぞれ違うってこと、
そして、理解しようとするんでなく
そのまま受け入れる寛容性が大事ってこと
気がつかなきゃいけない気がする。。
なんか偉そうかな^^;
でも、たまに、、そんなこと感じること
これまで多少なりともあった。。

なんか、相手に一貫性を求めても、、
人間って機械ではないし、、
自分だって、ちょっとした気分の変化なども
よくあるし・・・、接する人すべてに
同じ態度かというと、きっとそれも違うし、、
そこは生身の人間なわけで。。。

親子でも男女でも・・
自分の感覚や正義感や価値観だけで
きっと話せばわかりあえる・・や
とにかく理解しあうのが大事
というのは・・じつは
はたしてそうなのかなぁ~なんて
少々疑問に感じたりする。。


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ではまた~♪