人それぞれの愛のカタチ
かつてつき合っていた彼女Yとの話しの中で
印象深く残っていることがある。
それは、彼女の父と母の話。
彼女の父は、ある有名な脳外科医の先生。
現代ほとんどの脳外科医は
彼女の父が昔だしたテキストをもとに手術しているほど。
まぁ、そんなことは、
この話とまったく関係ないのですが・・(笑)。
さて、彼女のまだ幼かった頃、
何故かよく「車のセールスのおじちゃん」
というのが家に来ていたという。
でも、いつも、車の話しをしているわけでない。
友達のように仲良くいろんなことを話し、
けっこう長話しをして帰っていく。
だが、そこまでなら別にど~ってことないといえる。
問題は、ある日、そのセールスマンと奥さん(彼女の母)
が二人でスキーに行ったのだ。
これは、もうセールスマンと客の関係を越えてるではないか・・
Y「最初は私もそう思ったのよ」
ワシ「おとうさん、よく嫉妬しないもんだね~。愛冷めてたの?」
Y「ぜんぜん、ずっとラブラブよ。」
ワシ「それじゃ、なおさら、何か言いそうなもんだけどね」
Y「あ、毎回、『いっといでぇ~、楽しんできてね~っ』
て感じだったよ」
ワシ「なぬ、毎回って、その後も頻繁だったの?」
Y「そう、たまにはお父さんも参加したけど、
いつも病院で忙しいからほとんど毎回、セールスマンと
二人きりで行ってたよ。」
ワシ「へぇ~・・・。そのセールスマン、信用されてたんだね」
Y「べつに、そういうことじゃないみたい・・」
ワシ「じゃ、どういうこと?」
Y「あのね、いつだったか、私、もう少し大きくなった時、
その頃を振り返って、父に聞いたのよ。
よく『嫉妬』とかせずに平気だったね?って。
すると、父いわく、結婚する時に・・、
『僕はこの人の幸せのために一生いきてゆこうと、
そうきめたんだ。自分じゃないんだ。
彼女が幸せならそれでいいんだ。そして
それが自分の幸せなんだ』だって・・』
それを聞いたとき、なんだか奔放な奥さんも
この旦那さんもすごく幸せな人だな~と僕はそう思った。
家族写真なんか見せてもらっても、すごくお二人の幸せそうな
姿でいっぱいだった。
恋人の彼女(もしくは彼)がちょっと違う男性(もしくは女性)と
食事にいっただけで嫉妬に狂ってしまうような人と大違いである。
そういえば、この話しで
岡本かの子(岡本太郎の母)の話しを思い出した。
太郎が小さい頃、同じ屋根の下で
岡本かの子と岡本一平、そしてかの子の愛人の計3人と
子供の岡本太郎が一緒に住んでいた・・
これも考えられない話しだが・・(笑)。
詳細は省略するが、いろんな愛のカタチがあるもんだ。
岡本一平の場合は、
(この夫妻は若い頃いろいろ衝突もあったようだが)
年がたつにつれ、夫婦愛というよりむしろ、かの子のことを
まるで「信仰の対象のように」愛してたようだ・・。
そういう環境からか、岡本太郎の恋愛観も、
かなりリベラルというか、地球大のリベラルさというか・・
大きく影響を受けてる部分があると思う。。
ちなみに太郎版・結婚式のスピーチは、
当時かなり有名なものだった。
(本で読んで笑いもし、内容も拍手喝采ものだったが、
ここでは触れない・・)
ともあれ、愛のカタチ、さまざまですね・・・
でも、なにもこういう例えを出してですねぇ~、
愛は寛容でなきゃとか、そんなこと言うつもりは0%ですよ。
嫉妬がどうのというのも、10%くらいです(笑)
なんていうか、惚れぬくと、自分のことが無私になるような、
そんな愛は、我は経験したことがないので^^;、
こういう「愛のカタチ」をうらやましくも思い
テーマにしてみましたどす(笑)。

●付録
<どれほどと計算できる愛は貧困なのである。>
~シェイクスピア~
<人間はかれが持っているものを愛し、
もっていないものを欲しがる。
まことに豊かな精神のみが愛し、貧しい精神のみが欲しがる。>
~シラー~
<いつも愛してる人は、愚痴をこぼしたり、
不幸になったりするいとまはない。>
~ジュウベェール~
ではまた~♪