絵の声の聞き方(第2話)
昼間にアップした第1話が
さっそくいろいろコメント頂いてるので
急いで続きを書いときました。。
で、コメント欄で、絵の購入についての
ご感想等いただきましたから、それは
「別伝」として、この記事のあとに
いろんな角度で僕なりの感じる世界を
論じたいと思います。。
ではとりあえず、第2話を。。。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
たとえば、有名なゴッホ、
大巨匠ですが、、
生前、売れたのは
義理で買われたたった一枚だけ。
しかもずいぶん安い値段で。
当のご本人は、貧乏&苦悩の連続。
同時代の人に見向きされなかったのだから
仕方がない。
後世の人は彼の絵で、
オークション利益など
何千万、何億と稼ぐ人が現れるのだから、
こうしたことも、いかに「絵」が、
たとえ素晴らしいものであっても
なかなか理解されにくいものということがわかるはず。
さて、「絵の声の聞き方」という
タイトルにしてしまったが、、、
第1話からずいぶん長い前置きになった。。
そろそろ本題に入ろうと思います。。
最初に書いたように
絵は、本や音楽と違ってメッセージを
読み取りづらいということ、
じゅうぶんわかってもらえたと思います。
まぁ、当たり前のことの羅列かも
しれませんが^^;
で、絵のメッセージ、
それが絵の中にあるとしても
それは、「無言の詩」である
ということ。
ポエムは有言の世界。
絵は無言の詩なのだ。。それだけ。
絵から、どんな「詩」を感じとるかは
見る人の本人次第。
その人の感性でいくらでも
変容していくものだろう。
「絵」自体は変わらないのに。。
そして多くの人に
その「何らか」の詩を感じさせていくのが
歴史に残っていくのだと思う。
よく「美の巨人達」などの番組で
昔の昭和の作家の一枚なんかが紹介され、
もちろん人によっても違うけど
美術好きだからって、その絵を見て
どうしてこんなどんよりした下手クソな絵が(笑)
すごいんだろうっ~て思ったこと、
ありません??^^;
そんな風に感じたことある人、
きっと多いと思います。。
それこそが「無言の詩」の証拠なんです。
勝手な言い分かもしれませんが。。
上手さだけなら、上手い絵はいくらでもあり
芸大生の成績のいい人の絵なんて
みんなめちゃくちゃ上手ですもん。。
また、世界堂などにいけば
たくさんの石膏像がおかれてますね。
それを見て、感動されるでしょうか。。
ほとんどの方はしないと思います(笑)。
その石膏像を、まるで写真のように
完全に正確にデッサンしたとします。
で、感動するでしょうか。。。
僕はそうそう正確に描き写したって
人に感動なんて与えれないと思います。
その向こうにあるものを描き写せて
はじめてデッサン一枚でも
何か人に与えれるものが生まれると思ってます。
僕なんてデッサンは下手ですが(笑)
そういう気持ちで取り組んではいました。。
ともあれ、
技術も大事なんだけど、
それだけでは、歴史に残っていないし
人の心に「何か惹かれる」というものも
与えてはくれないというか。。
逆にゴッホのように
画面に絵の具を叩き付けてるような
情念の固まりのような「心の世界」が
時に多くの人の心を打っていくんですね。。
たんに絵の上手さではなく、
その絵の中にある「詩」が
人の心に共感を生んでいくというか。。
第1話で触れた、セザンヌにしても
バスキアにしても、そこに「詩」があります。
バスキアにしても、絵からその思想だとか
上手さだとかなんだとか感じ取ろうとしても
きっと捉えづらいはずです。
絵を見る場合・・・まずは
「詩」を感じ取るつもりで心の目と耳を
向けてください。聞こえてくるはずです^^。
(ちょっとキザかな。。)
でも感じ取ってみてください。美術館で^^。
佐伯祐三の乱雑な線の風景画も
独特な無言の詩がそこにあります。。
(知らない人も、有名画家なので
画像検索すればいろいろ出来てきます。。)
大好きなんですよね、あの世界も。
シャガールにはシャガールの詩、
ピカソにはピカソの詩があるはずですから。
どうしても絵の説明になると
作家の時代背景がどう、作家の思想はこう、
その絵の構図の特性はこう、
そうした数々の蘊蓄知識が本に書かれてますが
またそういうことを学ぶことも
絵を買ったり、観に行くうえで
とても大事なことですけど
まずはそういうのをとっぱらって
「絵を観る姿勢」として
感じるままの素直で目で
じっ~と、心静かに眺めてください。。
何かが感じられてきたら、
その絵には、
貴方には通じる「詩」があるってことです。。。
僕は、絵を見るということは、
無言の詩を聞きにいくようなもの
そんな風に思っています。。
~主観なので、個人差がありますが・・(笑)~

さっそくいろいろコメント頂いてるので
急いで続きを書いときました。。
で、コメント欄で、絵の購入についての
ご感想等いただきましたから、それは
「別伝」として、この記事のあとに
いろんな角度で僕なりの感じる世界を
論じたいと思います。。
ではとりあえず、第2話を。。。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
たとえば、有名なゴッホ、
大巨匠ですが、、
生前、売れたのは
義理で買われたたった一枚だけ。
しかもずいぶん安い値段で。
当のご本人は、貧乏&苦悩の連続。
同時代の人に見向きされなかったのだから
仕方がない。
後世の人は彼の絵で、
オークション利益など
何千万、何億と稼ぐ人が現れるのだから、
こうしたことも、いかに「絵」が、
たとえ素晴らしいものであっても
なかなか理解されにくいものということがわかるはず。
さて、「絵の声の聞き方」という
タイトルにしてしまったが、、、
第1話からずいぶん長い前置きになった。。
そろそろ本題に入ろうと思います。。
最初に書いたように
絵は、本や音楽と違ってメッセージを
読み取りづらいということ、
じゅうぶんわかってもらえたと思います。
まぁ、当たり前のことの羅列かも
しれませんが^^;
で、絵のメッセージ、
それが絵の中にあるとしても
それは、「無言の詩」である
ということ。
ポエムは有言の世界。
絵は無言の詩なのだ。。それだけ。
絵から、どんな「詩」を感じとるかは
見る人の本人次第。
その人の感性でいくらでも
変容していくものだろう。
「絵」自体は変わらないのに。。
そして多くの人に
その「何らか」の詩を感じさせていくのが
歴史に残っていくのだと思う。
よく「美の巨人達」などの番組で
昔の昭和の作家の一枚なんかが紹介され、
もちろん人によっても違うけど
美術好きだからって、その絵を見て
どうしてこんなどんよりした下手クソな絵が(笑)
すごいんだろうっ~て思ったこと、
ありません??^^;
そんな風に感じたことある人、
きっと多いと思います。。
それこそが「無言の詩」の証拠なんです。
勝手な言い分かもしれませんが。。
上手さだけなら、上手い絵はいくらでもあり
芸大生の成績のいい人の絵なんて
みんなめちゃくちゃ上手ですもん。。
また、世界堂などにいけば
たくさんの石膏像がおかれてますね。
それを見て、感動されるでしょうか。。
ほとんどの方はしないと思います(笑)。
その石膏像を、まるで写真のように
完全に正確にデッサンしたとします。
で、感動するでしょうか。。。
僕はそうそう正確に描き写したって
人に感動なんて与えれないと思います。
その向こうにあるものを描き写せて
はじめてデッサン一枚でも
何か人に与えれるものが生まれると思ってます。
僕なんてデッサンは下手ですが(笑)
そういう気持ちで取り組んではいました。。
ともあれ、
技術も大事なんだけど、
それだけでは、歴史に残っていないし
人の心に「何か惹かれる」というものも
与えてはくれないというか。。
逆にゴッホのように
画面に絵の具を叩き付けてるような
情念の固まりのような「心の世界」が
時に多くの人の心を打っていくんですね。。
たんに絵の上手さではなく、
その絵の中にある「詩」が
人の心に共感を生んでいくというか。。
第1話で触れた、セザンヌにしても
バスキアにしても、そこに「詩」があります。
バスキアにしても、絵からその思想だとか
上手さだとかなんだとか感じ取ろうとしても
きっと捉えづらいはずです。
絵を見る場合・・・まずは
「詩」を感じ取るつもりで心の目と耳を
向けてください。聞こえてくるはずです^^。
(ちょっとキザかな。。)
でも感じ取ってみてください。美術館で^^。
佐伯祐三の乱雑な線の風景画も
独特な無言の詩がそこにあります。。
(知らない人も、有名画家なので
画像検索すればいろいろ出来てきます。。)
大好きなんですよね、あの世界も。
シャガールにはシャガールの詩、
ピカソにはピカソの詩があるはずですから。
どうしても絵の説明になると
作家の時代背景がどう、作家の思想はこう、
その絵の構図の特性はこう、
そうした数々の蘊蓄知識が本に書かれてますが
またそういうことを学ぶことも
絵を買ったり、観に行くうえで
とても大事なことですけど
まずはそういうのをとっぱらって
「絵を観る姿勢」として
感じるままの素直で目で
じっ~と、心静かに眺めてください。。
何かが感じられてきたら、
その絵には、
貴方には通じる「詩」があるってことです。。。
僕は、絵を見るということは、
無言の詩を聞きにいくようなもの
そんな風に思っています。。
~主観なので、個人差がありますが・・(笑)~
