エッセイ「自分を探さない・パート2」 | 画家の雑記帳

エッセイ「自分を探さない・パート2」

先日、「自分を探さない」という記事を書いた。
趣旨としては、
自分らしくより、人間らしく。そこに
自分が培かわれもするし築かれてもいく。
どこか違う環境や世界に
本当の自分が見つかるのではなく
日々直面する自己の中にこそ
自分を見出すべくヒントもあるのでは・・
みたいなものを書いた。。
(詳しくは・・前記事を・・^^;)

今回は、その続編を。

いま、社会はいろんな価値観で
溢れかえっております。
文化・芸術・政治・経済・
会社における組織論にいたるまで
多岐にわたっていろんな考え方が
「氾濫してる」といっていいほど
バラエティー豊かです(笑)。
とはいえ、その反面、
システム化された社会で
そういう価値観の多様化とは裏腹に、
「一個の個性」は押しつぶされてる面も
多いかと、そう思います。
心は、自分なりの
「こうしたい」「ああしたい」という主張や欲求が
自分の価値観に従って、
ど~んと根を下ろしているというのに。。。
僕はそんな気がします。

そのうえでですが・・・
僕は、集団の中や社会の関わりあいの中で
「個性」を出すことが
そんなに大きな意味あることなのかなぁ~
と、ふと思う時があります。

それは別に、普通であれとか、
平凡であれ、出る杭は打たれるぞ、
などと言った、そういう意味合いで
言ってるわけではありません。。

みんな価値観も違うのならば、
そういう時代なのなら、
まずは「違いを認める」が大事で、
それによって、逆に
自分の個性も生かされてゆく様な
そんな気がするのです。。

例えば、極端なたとえになるかもしれませんが
自分に強烈な個性があるとします。
そして自分は野菜屋をしているとします。
お客さんは、野菜を買いに来ているのであって
なにも強烈な個性を
見に来ているわけではないというか・・・(笑)。
芸人ならまだしもですが・・。
経理は経理。事務は事務。
普段の社会の中で、仕事に関わりの中で、
(生活の大半はそういう時間ですが)
あまり「個性」は必要ない場合が多いです。

自己のキャラを炸裂するのは
気心知れた友人との飲んでる席や
恋人の前だけでいいのではと・・。

なるべく一般生活においては
「自分、自分」と自分を出したがるより、
逆に出さないでおこうとしているほうが
「あ~、わかってもらえない」と
嘆くことも少ないでしょうし・・(笑)。

何を言いたいのかというと、
「自分は」とかっていうより、
やはりまずは、
「人としてどうあるべきか」を
意識して念頭にして生きてたほうが
結局、人にも認められ、
自分が出せれる環境作りにもなってゆくと
思うんですよね。。

言ってみれば、賢明であるとか
聡明であるかと、誠実であるとか、
謙虚であるとか、真摯であるかとか。。
いわゆるそういう風に努めるほうが
自分を広げていける気がします。

この前の記事で書いた、岡本太郎さんの言葉、
「自分らしくある必要なない。
 むしろ”人間らしく”生きる道を考えてほしい」
にということにも繋がると、僕は思う。

まぁ、岡本太郎先生は強烈な個性で
知られてるけど、生前にお会いできた時、
すでに晩年の太郎さんは、
いきなり訪問した18、9の若造の僕に、
テレビでのパフォーマンスとは違って、
すごく物腰柔らかく、そして親切に穏やかに
接してくれ、逆に感動で心も体も震えました・・。
一緒にいた敏子さんもまさにそうでした。


そして、今日まで自分の人生で
100人ほどは芸能人・著名人などという人種にも
バッタリ会っあったり奇遇が不思議と多かったけど
やはり、「俺は芸能人だぁ~」って感じの人より、
ぜんぜん普通に気取らずいた人のほうが
どんなに印象深かったことだろう・・・。

僕の友達が偶然あった「大竹まこと」さんも
テレビの毒舌とは違って
とても親切で優しかったと言ってました。
ああいう世界で長く生きてる人は
やはりそういう部分強いと思います。

僕が一時期、絵を習ったていた先生も
こちらが申し訳なるくらい、
弟子の立場の僕に対しても、
穏やかで謙虚すぎるほど。
見ていて、ただの人のいいおじさん。
(読んでたら、すみません^^;)
もちろん、絵を教える時は
厳しいのだけれど。。。
本当、人格者です。

まぁそういう風に考えるので、
アーティストの人でも、
社長でもなんでもいいけど、
威張りくさってる人は大嫌いだ(笑)。


そういう意味合いで
長々書き連ねてきましたけど、
「普段」なんて
普通の自分でいいじゃない、
ただの自分でいいじゃない、
と、そんな風に思います。

やはり人と人とで成り立ってる社会。
そこに自分があって、
そのうえで世界はあるわけで
自分一人で世界は成立はしないのだ・・
当たり前だけど。。
だからこそ、
気さくであったり
接してて爽やかであったり
気持ちよかったりが
生きる道として大事な気が。
(でも、媚びへつらうとかは論外ですよ。
 あくまでフツーがいいというか)
独断なのかもしれませんが。
ある意味、変に自分なんて無いほうが
いいくらいに感じることあります。
「無私」になれるもんならなりたいくらい
と自分は思っています。

自分の立場に汲々としたり
自己主張に躍起になったり
そんなことよりも
ある意味、ぽ~んと、いったん
自分なんて捨て去ったほうが、
気がつけば、
のびのびと肩肘はらず
自然体の自分で生きれてる・・・、
って感じのこと多い気がするんですよね。。
勝手な感想かもしれないけど。

よく、ネットの掲示板などで
思いきり自己主張しまくりあって
喧嘩してる人までいるじゃないですかぁ。
見ていて、若干、楽しくもあるけど^^;。
まぁそれもいいのだけど、
たまに、そんなに
「自分」を認めてほしいのかな・・
なら覆面IDなどにしないで
名前だしてURLリンク張っちゃえば(笑)
と思ってしまう。
って、これは余計な批評か・・^^;

もし今、生活の中、何かで
八方塞がり感だったりする人は
いったん自分を突き放してみてはどうかな。。
「今の自分」にあまりに執着しすぎることから
逆に自分を縛りつけることって
割りあい多い気もします。。

そうかなぁ~と、
疑問を抱く人もいるかもしれませんが
あくまでこれは
僕がこれまで生きてきて、そして現在まで
いろんな人を見てきて、
かつ自分自身いろんな経験や失敗もしてきて
そのうえで感じてたことなので、
これもまた
人それぞれの人生経験の違いや人生観で
答えは違っていてもいいと思います。
あくまで、「僕はそう思う」というだけで^^;

で、思ったことを
とりあえず、今日もまた
記事にしてみました(^^;

終わり。


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