エッセイ「放置されてるけど、うまくいく方法」
先日、「神は放置する」という
エッセイを書きました。
おかげさまで
大盛況でした^^;。
これはある意味
その続編です、
いや追加事項です。
無神論者の方は
スルーしてください。。
いや、だまって見守って
いただけるのでしたら
やっぱり読んでください^^。
さて、神は放置すると書きました。
(読まれてない方は、詳しい前編を・・)
ここでまた一応、再度言っておきますが、
「神」といっても
神や仏、その他、なんでもいいですが、
見えない力とか法則でもいいんですが
そういうものがあると捉えてる人のための
記事です・・。
さてさて前回では
放置・・すなわち、干渉しない、
人生は人間の自由意思に任されてるのでは・・
という展開をいたしました。
そのうえで、感じるところ・・。
そうした力や存在がると肯定しているのに
でも結局は本人次第みたいな・・
なんというかそんな内容でもあったわけですが・・
個人的には
そうした存在(力でも法則でもいいのですが)
「見守られている」とは思うんですよね。
まるで、親が子を見守るように・・
たとえば、不良息子がいて
注意や喚起をするけれども
基本的には個人が立ち直り
成長するの見守ってるかのような・・
そんな感じがするのですよね。。
(もちろん、悪は結局
一時は良くても、最終的には
栄えないという因果律が
法則として、この魂に
インプットされてると思うんですよね。)
で、それを肯定しての話しなのですが、
この「身守られる」という
意識が大事なのかなと。
自分はきっと生かされるという、
信じる心と感謝、
それが大事かなと。
この世に
神も仏もない、
不幸ばかりだ
生まれてから
ロクなことない・・
と嘆いても始まらなく・・
また病気などの面で
絶望の淵に立たされる方も
この世界には多くいると思います。
人それぞれ
いろんな状況があって
恵まれてる立場のものが
何を言ったところで
時に、いい気なものにしか
聞こえないかもしれない・・・
とも思いながら
でもあえてこうしたことを
書いています。。。
極論すれば
不謹慎なのかもしれませんが
「生」と「死」だけが
すべてではないと思ってます。
というのは
「死」は「無」ではないと
個人的に捉えてるからです。
証明しようもないことなのですが・・。
生も見守られてるし
死後も見守られてると
僕はそう思います。
いや思いたいです。
まぁ、このへんは
人それぞれの感覚なのでしょうが・・。
(もちろん強制するつもりも
それについて議論するつもりもありません・・)
で、「生」に焦点をあてていえば
どういう状況であっても
「今」を生かされるという「感謝」を
最後の最後まで持ち続けることが、
すごく大事だと思うんですよね。
そういう意識を持つか持たないかだけでも
けっこう人生、違うと
個人的には思っています。
希望を持とうとか
夢を持とうとか
そんなこと言った日には
ヘドがでるぜぇ~
という方も世の中にはいるのでしょうけど
希望こそ力だし
こういう時代こそ
それが原動力と思います。
なんでもなるようにしかならないとか
どうせ俺は・・とか
どうせ私なんか・・とか
そういう気持ちに支配されてる間は
太陽があるのに
雲で覆われて見えてないような状態だと
僕は思います。
せっかくの日光を
自ら与えないようにしてるように
そう思えます。。。
毎日、太陽が昇ってます。
まぁ雨の日も台風の日も
あるわけですが・・。
でも、明日を信じれる人、
見えるものだけでなく
見えない何かにも畏敬をもって
そして感謝できる気持ちでいられる人
そういう人は
きっと人生の中で
一時は吹雪でも
暖かい光りに包まれる日々が
来るに違いないと
そう思います。
信じることは
力であり意志だと思います。
人生の風向きを変えるのは
風水でも占いでも、運だけでもなく、
まずは太陽のような強い気持ちと
「今」この瞬間を生きてる
という感謝だと思います。
そこからうまくいくための
エネルギーも魂に満ちてくるはずと
思います・・。
現実の日々に
ヘコタレズ アキラメズ
雨にも負けず風にも負けず
元気をだしていきましょう!
(※よくわかりませんが風水とか
否定してる意味ではないです^^;
占いも当たる人は当たるのだろうから
参考になるとは思うし)

あと前回も補足しましたが
こういう趣旨の記事のため
一応書いてきますが・・
特定の宗教の宣伝的コメとか
中傷的とみられるコメは
絶対に承認できませんので
ご了承ください^^;。
どこかに入ってくださいとか
何かの宗教がどうとか
そういう類いのものではないです。