岡本敏子さんとの思い出 | 画家の雑記帳

岡本敏子さんとの思い出


画家の雑記帳

岡本敏子さんとのことは、先日の
「岡本太郎さんとの思い出」でもすこし触れた。
僕にとって敏子さんは、
心から敬愛するおばさまで、
その後も一度お会いすることができたので、
敏子さんのひととなりや、その時のことを紹介したい。

岡本敏子さんは女学生時代、岡本太郎さんと出会い、
そのまま「秘書」となって、以来50年近く
太郎さんの活動を影で支え続けた人である。
秘書と同時に、独身主義の太郎さんの「養女」となった敏子さん、
でも、その太郎さんへのひたむきな献身の人生をみれば、
どれほど一生涯、純粋な愛を貫かれたがうかがわれる。
それは、(口が悪いかもしれないけど)
そんじょそこらの夫婦やカップルにマネのできない、
本物の強い愛と絆を感じさせられる。
(も~、ラブラブゥ~!なんて甘~い世界を
遥かに越えた世界といえます)

太郎さんの没後も、岡本太郎記念館の設立をはじめ
川崎の岡本太郎美術館の設立に尽力をそそぎ、そして同時に、
数々の岡本太郎との人生を綴った著作の発表。
敏子さん自身、当時すでにご高齢にもかかわらず
ものすごいパワーで、精力的に、
いや命を削るように活動をされていた。
それでもいつもニコニコと微笑みを絶やさずに・・・。
その数年で、あらたな「岡本太郎ブーム」が到来したのも、
ひとえに彼女のそうした活動の結実である。

以前に、テレビ公開された太郎さんの遺作「河神」完成披露の際、
敏子さんは、まるで子供のような喜びに満ちあふれた顔で、
思いきり涙をうかべておられたのがすごく印象的だった。
ほんと太郎さんが好きだったんだなぁ~。と思う。
はじめて出会ってから、ずっとそのままというか、
それ以上に深く、また深く、
ひたすらに愛し続けてこられたんだなぁ~とそう感じた。

「岡本太郎に乾杯」をはじめ、その後の著作の数々をよんでも
その激愛ぶりがわかります。偉大で本当に純粋な愛です。
立派だと思いました。

さて、太郎さんが亡くなられ、しばらくしてからのある日、
初めて「岡本太郎記年館」に行った。
ひと通り見終わって、帰ろうとしていたその時、
玄関口そばの事務室が突然パタッと開き、
なんとたまたま偶然、敏子さんがでてきた・・・。
またもやあまりにもタイミングの良さにびっくり。

そこで、すみませんと声をかけ、
10年以上前になりますが・・、と
岡本太郎さん・敏子さんと初めて会った時の思い出や
その後、太郎さんの本で、言葉で、ものすごくエネルギーもらい
今は、夢であったアンティークの店も開きました・・など
そうしたことをお話しさせていただいた。
敏子さんは、まるで自分のことのようにものすごく喜んでくれ、
「ちょっと待っててね」と事務所へ。
あぁ、忙しいとこわるかったかなぁ、などと思ってると
なにやら本を片手に戻って来た。

「これね、この記念館のオープニングの際、
 関係者や生前に交流のあった方々にだけ、
 限定でお配りさせてい頂いた太郎さんの特別な写真集なの。
 1冊だけ残しておいたのだけど、貴方に
 プレゼントするわぁ~~。今日はありがとうねぇ~、
 きっと太郎さんも喜んでるわ・・」と喜びと慈愛に満ちた笑顔で
 僕に手渡してくれたのだった・・。

僕は感謝感激で、「え、そんな、貴重なものいいんですか・・」
といいながら、しっかりその写真集をつかんでしまった・・(笑)。

そして、敏子さん自身の名刺もいただき、
画家の雑記帳
いつでもよかったら遠慮なく連絡して
遊びに来てくださいね・・って
もう感動だった。

10数年の間に2回訪れ、その2回とも、
偶然にこうして会うことができた。なんて嬉しい縁なのだろう。
そしてその出会いこそが、
なによりも僕にとって最高のプレゼントだった・・。

その敏子さんも、
2005年の4月20日、太郎さんの元へと旅立たれた・・。

いまなお、たくさんの人々の心を掴んではなさない二人・・。
岡本敏子なくして岡本太郎はなく、
岡本太郎なくして岡本敏子はない。そう思う。
太陽と月のようなお二人だった・・。
生前のいろんな批判もなんのその
(川崎に博物館が立つときも反対運動があったほどです)、
もはやその偉業は歴史が証明し、
太郎さんと敏子さんの功績は、
ますます天を貫くように昇り続けてる・・。
きっとこんにちの「明日の神話」などの反響のすごさを
お二人も笑いながら天から見守っていると思う・・。

太郎さん、敏子さんありがとう・・・。愛してます!