宮澤賢治の「やまなし」(小学校6年 光村)がこの時期、授業で行われています。(ご存じの方も多いかもしれませんが、もし、確かめてみたかったら、検索してみてください)
S小のNさんから電話がありました。
「先生、『やまなし』の授業するのですが、ヤマナシって、手に入りますか?」
私は、戸惑いました。
私自身、この授業をするときにヤマナシを準備して授業をしたことがなかったのです。
それに、これまでヤマナシが和歌山県下にあるか否かも確かめたことがありませんでしたので~。
ただ、私にはヤマナシかどうかは分かりませんが、ある山で一本、生えているナシの木は見たことがありました。そこで、その辺りの植物に詳しいMさんに連絡を取り、尋ねてみました。すると、私の言っている木については、不明でしたが、他の場所にヤマナシがあることを教えてもらえました。
翌日、朝からその現場へ。
ありました!しかし、5m以上の高い所に実がなっていて採れそうにありません。やむなく、下に落ちている実はないか探してみました。見つけた実は、昨年のものでしょう。黒くなっていました。しかし、図鑑で調べた通りの大きさや形の実でした。
私は、その実を見てすぐ、思いついたことがありました。
それは、宮澤賢治の「やまなし」のお話の終わりの方にやまなしが川にいる蟹たちの頭上に落ちて来る場面があるのですが、その落ちた様子を「とぷん」と表現されていたことです。
どぼんではなく とぷん になっていたことです。
この実を見れば、なるほどです。
あの私たちが食用にしているナシとはおよそ違うのです。
普段知っているあのナシのような実であれば、どうして とぷん なんだろうと、首をかしげたくなりますが、これを見たら とぷん がピッタリだと納得したのです。やはり、ほんものを知っていないと表現が理解できないのです。(私が、「やまなし」のこの部分を覚えていたのは、多分、自分の中で、「なぜ、どぼんではないのかしら」と納得できていないものを抱き続けていたからだと思います)
さあ、急いで学校に届けます!
ヤマナシが欲しいと連絡があったのは、その後増えて、4校に配ることになっていました。できたら、昼休み中に配りたいと思って市内をバイクで走りました。
どの学校でも、そのヤマナシを見て驚きながらも、実物を手にして大いに喜んでくれていました。