先日も登場したイオウイロハシリグモを例に、自然体験について考えてみます。



これは、昆虫ではありませんね。クモ類です。


「では、昆虫とどういうところが違いますか?」


脚の数 8本  昆虫は6本


体のつくりは

こちらは二つに分かれますが、昆虫は頭・胸・腹の三つです。


羽はクモにはありません。


糸を張って、獲物を捕まえて生きているのがクモです。


眼は~


他にもいろいろあると思うのですが

子どもの頃から生き物を触りながら育った子どもは、上記のようなことは本を見て知ったのではなく、そういう体験を通していつの間にか身についています。


このうちの例えば赤い字で書いた体の作りについてですが

体のつくりは

こちらは二つに分かれます

クモの場合は、「頭胸部と腹部の二つに分かれている」と、書物などで学んだとしたら、自然体験の豊富な子は、「ああ~、あのことか」とイメージを浮かべながら、

「あの部分を頭胸部と腹部か~なるほど」とすぐにストンと落ちます。


一方、自然体験のない子どもは、「ええ~っ、あのいやらしい蜘蛛か」から始まり、何のイメージもなしに、ただそこに描かれた図や写真を見ながら「頭胸部と腹部」と覚えるのです。子どもにとって、こういう学習は、楽しいはずはありません。この子には理科は覚える教科になってしまっています。これでは、学習は苦痛ですし、できたらやりたくありません。学習というのは、「所詮、面白くないもの」という学習観を持ってしまっています。


しかし、自然体験をしてきた子どもにとっては、この学習によって、自分の体験してきたことが科学的にあるいは、合理的に意味づけたり、整理されていくことになるわけですから、心地のいいことなのです。そして、そういう子どもですから次に野外に出かけて行った時には、学習で身につけた新しい眼差しで、クモを観察するでしょう。そして、学んだ「頭胸部」を使ってとらえていきます。学んだことが本当に生きているのです。だから、学んだことは剥がれ落ちるようなことにはなりません。学んだ意味がありますね。


学ぶことは、楽しいことだし、充実感があることだと実感しています。ますます、次の学習への期待を寄せるようになるのです。


自然体験の大切さを一つの窓口からとらえてみました。

今一度、考えてみてください~。