8月例会①は、14人の参加でした。
「学ぶことは、自由を手にすること」のタイトルは、ある教育学者が言った言葉。ひらがなを他の子のようにスムーズには獲得できなかったRさんへ個別の指導をしていく中で、この「学ぶことは、自由を手にすること」を実感していったという実践報告でした。
その中で明らかになったことを私のメモから拾い上げておきます。
①就学時には、ほとんどの子どもが文字を何らかの形で学んでいるのが現実である。しかも、獲得している子が絶対多数。平仮名を身につけないまま、入学してくる子は、本当にごくわずかという現状。
②そのごくわずかな子どもは、入学後も、普通の平仮名指導の中では、引き続き、平仮名(文字)が分からない苦しみを続ける結果になりがちであること。幼稚園等の時代から数えると、大変長い時間、平仮名がみんなのようには分からないという苦しい思いを引きずっているのだということ。
③指導にあたっては、常に、正確に何ができ、何ができていないかを把握してから取り組むこと。子どもの実態は、子ども自身による活動を通してしか見えてこないこと。
④指導にあたっては、計画通りに進まない場合にあっても、教師自身が一憂している気分や感情を出さないこと。喜びは子どもと一緒によろこびながら、そして、「この先生となら、みんなみたいに平仮名が書けるようになるかもしれない」という期待感を持ち続けられるように教師は常に工夫を重ねていくこと。
⑤ひとつの指導法でうまくいかなかった場合は、また、別の方法で指導する方が、学習している子ども自身、意欲を換気できること。同じことを繰り返すばかりでは、子どもに苦痛を感じさせるケースが多いこと。
⑥子どもは、分からないことを分からないと言えないものであるととらえなくてはならない。●みんなができていればなおのこと●表現力が不十分なのだから当然●性格的なこともあって・・
子どもはできないとき:消極的になる、無気力になる、荒れる、不真面目な態度をとる・・・・・
⑦保護者との関係は、子どもを真ん中にすえた教育実践(子育て)をする中で育てることができ、それが、深まり、高まっていく。保護者は、この子を一生懸命にこれまで育ててきた人なのだというリスペクトする気持ちが教師には、不可欠であること。
⑧量から質への転化が起きる!!!
ヘレンケラーのWaterのように、Rさんは標識の「とまれ」を見て、「れ」という「文字」があることを真に認識できた。その瞬間まで、Rさんに楽しく学ぶ気持ちを持ち続けられるような指導を継続してきたことがこの質的転化をもたらしたのだということ。ヘレンとサリバンは格闘になってしまっていたけどなあ・・・
⑨子どもたちは、みんな分かりたがっている。分かりたがっていない子どもはいない。しかし、素直にそういう顔をしていない場合が多いこと。しかし、本当は、みんな、分かりたがっているのだということ。
⑩分かっている子や分かる子に合わした(よりかかった)授業をしないこと。塾などで「既習」の子、理解力の速い子など学習指導に手のかからない子どもたちに依拠するような授業はしないこと。ZEROから学ぶ子どもと共に授業展開すること。+理解の早い子どもたちがやる気をなくさない工夫もいること。
⑪子どもの成長をよろこびあえる教師集団(職員室)であるべき:現実には、そうでない実態が進行しているというあってはならない状況が・・・・・ナサケナイトホホ
感想:教師になっている人は、貧しい生活条件下で暮らした経験も、勉強が分からなくて苦しんだ経験も、持ち合わせていない人が多い。そういう人が集まって学校というところで仕事をしているので、上記にあるかなりの部分に影響しているような気がした。常に、謙虚であらねば・・・・。
以上、8月例会①の報告でした。
次回、8月例会②は22日です。みんなで手作りサンドイッチを食べながら、何でもしゃべって9月からまた仕事に頑張るエネルギーを充電しましょう。