家から西の方へ向かう道は、海にまで続く用水路沿いになっていた。用水路とは言わずに、川と言っていたが、その川沿いには背の高いヨシなども茂っていてその他の草もぼうぼうに生えていた。草の茂ったジャングルの中から、「キリギリースッ チョン」の鳴き声がひっきりなしに聞こえている。これが私の子どもの頃の夏の一場面です。
キリギリスがいっぱいいました。緑色なので草の中ではほんとに見つけにくいのですが、唯一、鳴き声が頼りです。そうっとそうっと近づいていきます。鳴き声のそばに確かに来れたら、ここからは一層、慎重に慎重に。そうっと草の中をのぞき込みます。この時、警戒されて鳴き止んでしまったら、大変。探すのがもうほとんど無理です。まだ、鳴いています。しめしめ!!最後の鳴き声を頼りに居場所を特定します。茶色の触角を見つけました!!そうして、捕まえてきては、キリギリスを竹籤でできたかごに入れて飼います。スイカの食べ残しやキュウリのへたなどをやって飼います。
縁側などにかごを吊って、鳴き声を楽しむのです。スズムシなどとは違って、暑苦しい鳴き声でしたが、捕まえた誇らしさを家族にアピールしていたような気もします。だから、キリギリスは子どもが飼っていました。
その川沿いのキリギリスなどの雌が産卵に使っていた道は、今はコンクリートになっています。車が走ります。草まみれだったキリギリスの棲めるような条件は全くありません。命ある世界に生きる一員でありながら、私たち人間は何をしているのでしょうか!!便利でさえあればよいという横暴で命の世界での人間の歴史は続いてきたように思います。
今日、池の畔の笹の葉にヤブキリの♂が留まっていました。ヤブキリはキリギリスとよく似ているのです。鳴き声は「ビ~~ィ」ですが、つい、上のようなことを思い巡らしていました。その鳴き声を聞いていると、何故か、キリギリスも悲しく泣いているようにさえ思えました。
この私たち人間の犯している横暴は、あらゆる分野にあふれています。みんなが目覚め、改めないと命あふれる地球は本当に滅んでしまうのではないでしょうか?



