マージャリー・クランドン その十二:証拠は拒まれ、消えていく | Siyohです

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音楽とスピリチュアルに生きる、冨山詩曜という人間のブログです

1932年3月9日。その晩の交霊会においてウォルターは、まだ生まれていない子供の足跡を作成してみると言い出しました。一方、ダドリーがウォルターの指紋と歯科医の指紋が同じだと発見するのは、当にこの頃。彼が3月11日に、その発見のことを手紙に書いていることがわかっています。この日付の一致は一体何なのでしょう。ウォルターはダドリーがその発見をすることを知っていたのでしょうか。それはともかく、3月9日の交霊会でワックスに小さな足跡が残されました。その写真がこれです。

右に赤ん坊の右足跡があるのですがわかりますか? 右端の大きな指は親指でしょう。それとあと二本、はっきりした指の跡が見えます。他の指はよくわかりませんね。

 

ウォルターはニューヨークに住むある夫婦の実名を出して、これは彼らから生まれる予定の赤ん坊の足跡だと宣言しました。ASPRはこの写真を3月のジャーナルに載せています。その後に生まれた子供の足がこの足跡と一致したら、これ以上の証明はありません。実際、ウォルターが名前を出したその夫婦には後日子供が生まれました。しかしながら彼らは、その子の足型を取りたいというASPRの申し出を拒否したのです。ASPRがウォルターにそれを言うと、彼は、実はいくつか取った足跡の中にはもうひとり、別な赤ん坊の足跡も入っていると言い出しました。ASPRがそちらにも申し出をしたところ、この夫婦は承諾してくれました。そして首尾よくその子の足型を入手したASPRでしたが、そのもう一人分のワックスの足跡は不鮮明で、一致しているとは断定できないとの結論になってしまったのです。ジャーナルの1932年11月号には、最初の夫婦が考えを変えてOKしてくれたり、ウォルターがまた別な子供の足跡を作ってくれたりしないだろうか、という願いが載っています。ちなみにダドリーの指紋の件が、ASPRから枝分かれしたBSPRのジャーナルに発表されたのは10月。どうやらこの時点で、世界はマージャリーを決定的に拒んだようです。

 

ASPRのボタン会長は、ダドリーのレポートを載せることを拒否しました。そのためこのレポートはBSPRから出たのです。彼はこのレポートでは心を惑わされず。足跡の件にもめげず、新たな実験を考えました。それが存在するだけで超常現象だと言えるものを作ってくれるよう、ウォルターに持ちかけたのです。

 

マージャリーの少し前の時代に、ライプツィヒ大学の物理学者で天文学者のヨハン・ツェルナーが考え出した実験があります。彼はヘンリー・スレイドという有名な霊媒を調べていました。このスレイドはどうもユーサピア・パラディーノのように、実験条件がゆるいとすぐに不正をしたがる霊媒だったようです。そのため一般的には偽物として知られていますが、研究者の中にはツェルナーのような真面目な人もいて、彼はスレイドの実験を通して自分の四次元の理論を検証しようとしました。そして彼は、もし四次元が存在してスレイドの力がそこに関わっているのなら、きっとこのようなことができるはずだ、という実験をいくつか考えたのです。そのひとつが、木でできた輪を交差させることでした。

 

ある日ツェルナーは、2つの木の輪と、膀胱で作った帯に、図のようにガット(腸を元に作った紐)を通しました。

彼はこれを机の脇にぶら下げました。この2つの木の輪を貫通させてつなぎ、膀胱の帯はそれを切らずに結び目を作るのが実験の目的です。

しかし実験結果は予想を裏切り、2つの輪は横にあった丸テーブルの軸に、こんな風にハマってしまいました。

予定の結果とは違うけれど、十分超常現象ですよね。ちなみに膀胱は、結び目のできたガットにこんな風にぶら下がっていました。

この結果にはあの世側の、超常現象は示すけれど、その解釈を曖昧なままにさせたい思いを強く感じます。テーブルの件は支柱から上のテーブルや下の台を外せば、簡単に再現できます。ガットも、結んであるのを一旦解いてから膀胱の帯と絡めて結び目を作っていけばこの状態を作れます。つまりこの結果は、そこにそれがあるだけで超常的とは全然言えないわけです。

 

バトンは、この実験の目的であった交差した木の輪ができれば、ミナとウォルターの超常性を証明できると考え、ウォルターにできるか聞いてみました。するとウォルターは難なくやり遂げ、いくつかの交差した木の輪ができ上がったのです。しかしそれを知った物理学者のオリバー・ロッジは、熟練した大工なら一つの木からそのようなものを作り出すだろうと述べました。絶対的に超常的な物を作りたいのなら、2つの木の輪はそれぞれ別の木を素材としていなければならないというのです。さて、ウォルターはこれも問題なくやり遂げ、ホワイトウッドとレッドマホガニーのつなぎ目のない木の輪が交差したオブジェがいくつか完成しました。ついに究極の証明ができたのです。ただ、それならなぜ、マージャリーの名は偽物呼ばわりされたまま消えていったのでしょう?

 

クランドン氏はその中の一つをオリバー・ロッジに郵送しました。X線で木輪に切れ目がないことを証明してもらうためです。ところが荷物を受け取ったロッジは、片方の輪が壊れているのを見たのです。郵送の途中で自然に壊れたのでしょうか。しかも送らなかったその他の輪は、なぜか自然と2つに分かれていき(!)、超常的な輪はもう最後の一つになってしまいました。

 

1934年、最後のそのペアを見せられたジャーナリストのハンネン・スワッファーがこれを写真に撮っています。その写真を売っているImago(https://www.imago-images.com/)というサイトがあって、そこで「crandon rings」と検索すると出てきます。

 

この写真、ちゃんと購入して、シャドウの被りなんかも補正してここに表示したかったのです、残念ながら日本からは買えないようです。左側の交差した木の輪は封印したガラス箱に入れられ、ボタンが責任を持って管理していました。しかしスワッファーが2年後に訪れた時、片方の輪が壊れていました。聞くと、自然に壊れてしまったとのことです。

 

超常現象はここまでして否定されたのです。

人類の集合無意識によって。。。

 

こんな風に輝かしい成果を残したミナとウォルターですが、次回は改めて、ミナは不正をしたことがあるのか、という疑問に挑みます。