異世界こぼれ話 その二十五 「ロズウェル事件研究を追ってみた 中編」 | Siyohです

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音楽とスピリチュアルに生きる、冨山詩曜という人間のブログです

前回、ナオミ看護婦の経歴が改ざん、または抹消されているのではないかという話をしました。同様に、経歴を抹消されたのではないかと思われるのがボブ・ラザー(Robert Scott Lazar)です(ボブはロバートの一般的な愛称)。

 

1989年5月、ラザーはデニスの偽名でラスベガスのKLAS-TVに出演し、ジャーナリスト、ジョージ・ナップ(George Knapp)のインタビューに答えました。

彼は、ネバタ州のグルームレイクの近くにある米軍秘密基地に宇宙船が9機あり、テスト飛行と分析がされていると語り始めました。彼はそこで主に推進力と動力源を研究し、その複製をするのが仕事だったと言います。ここで、政府はその宇宙船をどうやって手に入れたのかと聞かれると、わからないと答えました。彼に与えられる情報は極めて制限されていて、自分の作業に必要な情報しか得られないというのです。次に、宇宙船は異星人が使っていたのではなく、政府が開発したのではないかという質問が来ると、ラザーはそれに「絶対ありえない」と答えました。そして「推進装置は重力を利用していて、動力源は反物質リアクターだが、そんな技術は存在しない」と断言したのです。ちなみに、リアクターというのは、その中で何らかの化学反応を起こさせる装置です。

 

彼がこのインタビューを受ける決心をする背景には、いくつかの出来事があります。彼は当時の奥さんであるトレーシーTracy、フィルムプロデューサー件脚本家のジーン・ハフGene Huff、UFO研究家ジョン・リアJohn Lear、ラザーの友人ジム・タリアニJim Taglianiなどと一緒に、テスト飛行を見物していました。毎週水曜に、地球製UFOのテスト飛行があったのです。しかし三回目の見物をしているとき、1989/4/5、彼らは見張りに見つかり、保安官事務所にIDを提出して追い返されました。

 

ラザーが翌日研究所に行こうとすると、上司のデニスが待ち受けていて、彼を現在ではクリーチ空軍基地と呼ばれている基地に連れて行きました。そこでラザーは尋問され、UFO見物をしていたパプースレイク付近には二度と近寄らないように言われたのです。もし近づいたらスパイ容疑で逮捕するとまで言われました。また、そこで彼は奥さんの通話記録を見せられ、彼女が浮気しているのを知りました。これは、浮気の事実を示したいのではなく、こうしていつも見張っていたという事実を知らせたかったのではないでしょうか。

 

さらに翌日4/7、彼は自分の基地への通行許可が無効になっているのを知りました。直接クビを宣告されたわけではありませんが、事実上、ラザーは研究所をクビになったわけです。そして、これからの人生をどうしようかと思い、ある日彼は出生証明書を取り寄せました。ところが、それは存在しないと言われたのです。彼はびっくりして、職歴や学歴も調べましたが、彼が勤めた記録、大学に通っていた記録はことごとくなくなっていました。その結果、自分も消されるのではないかと思ったラザーは、テレビに出ることを決意したのでした。

 

5月のインタビューで顔を隠し偽名を使っていたラザーでしたが、すぐにその身元は調査され、広まりました。また、最初のテレビ出演後のある日、高速道路を運転中に後輪を狙撃されることがあり、保身のためにも、今度は身分を隠さずにテレビに出ることにしました。

1989年11月に、やはりジョージ・ナップのセッティングでテレビ出演したときの画像です。ラザーはそこでかなり多くのことを語りました。その他のインタビューも合わせて彼の主張をまとめると、下記になります。

 

彼はマサチューセッツ工科大学(MIT)で物理学の、カリフォルニア工科大学(Cal Tech)で電気工学の修士号をそれぞれ取得しました。この2つの大学はかなり優秀な人でなければ入れないし、卒業もできません。彼はその後ロスアラモス国立研究所で働きましたが、自分の研究のためか、あちこちからかなりのお金を借りていました。そして1986年5月、最初の妻キャロルCarolが亡くなると、自主的に破産宣言をして、ロスアラモス国立研究所を辞めて引っ越しをし、しがない街の写真屋となりました。

 

しかし彼は再び科学界で働くために、今まで知り合ってきた人たちにレジメを送りました。その中のひとりが、「水爆の父」といわれるエドワード・テラーです。彼はロスアラモス国立研究所にいたとき、テラーと会って話したことがあったのです。テラーも彼を、独創的な発想をする物理学者だと覚えていて、アメリカ軍の兵器化学研究所EG&G社関連の仕事をしないかと言ってきました。高度なテクノロジーに関する米海軍のプロジェクトと聞いてラザーは興味を持ち、そしてもちろん、超一流の科学者であるテラーの薦めでもあったので、面接を受けることにしました。

 

面接の際彼は、なぜか私生活のことをたくさん聞かれました。面接官は学歴や職歴よりも、それ以外のときにラザーが何をしているのかを知りたかったようです。それに彼は、粒子加速器が家にあって実験している、などと答え、何度かの面接の後、採用が決まりました。彼は早速、EG&G社の飛行機でグルームレイクにあるエリア51へ連れて行かれました。そこからバスで15分ほど南へ進んだS4と呼ばれる研究所が、彼の勤め先となるところでした。

 

研究所内で様々な報告書を読まされたラザーですが、その中には宇宙人とUFOに関する報告書もありました。部品のスケッチやUFOの飛行実験、宇宙人の写真や解剖した写真などもあったと言います。彼はもしかして試されているのかと思いながらも、その内容を一応頭に入れました。そして翌日、S4に入ろうとすると格納庫の前に連れて行かれ、そこで初めて自分の目でUFOを見ることになったのです。UFOは全部で9機あり、ラザーは、格納庫の一番右側のUFOを使って、未来のテクノロジーの分析をするように命じられました。

 

彼が担当したUFOは大きく3層に分かれていて、入り口から入るとまず2階に立つことになり、2階のフロアには中心に反物質リアクターと呼ばれるものがありました。これはUFOの動力源の重力波を作り出す装置です。異星人は宇宙船を渡してくれたけれど、その詳細は教えてくれなかったため、リバース・エンジニアリングによって色々な仕組みを解明してきたようです。その周りにはコントロールパネルがあり、1つは研究用か何かで剥ぎ取られていました。1階は地下にあたり、3つの重力増幅器が均等に吊り下がっていました。

 

ラザーは初めて円盤内部を見たとき、その操縦席にかなりの衝撃を受けたそうです。操縦席はとても小さく、記憶によると浮いていて、人間の子供でも座るのは無理なサイズでした。それを見たときにすぐ、先日見せられた書類の中の異星人の死体を思い出し、報告書はすべて本当だったのだと納得したようです。

 

リアクターで作られたエネルギーは重力エネルギーに変換され、UFOの周りを粒子が覆い重力増幅器に集中されるという仕組みらしく、増幅器を各方向に動かして複雑な飛行ができるようになるとラザーは語っています。反物質リアクターの中には、当時まだ未発見であった元素115が使われていました。これを使わずにリアクターを複製するのが、ラザーの仕事となったのです。

 

さて、UFO研究家たちはこぞって、彼の主張を確かめ始めました。しかし、アメリカ軍の基地はエリア50までしかなく、51は存在しない。ロスアラモス国立研究所でラザーが働いていた記録はない。MITとCal Techに在籍していた記録も全然ない。研究家たちは、実はどこかに記録があるのではと、ある人は10年分の年鑑をすべて見たりしたのですが、何の記録も見つからないのです。どこか、ナオミ看護婦の記録がどこにも見つからなかったという話が思い出されます。

 

しかも彼は1990年6月、売春幇助容疑で逮捕されました。ラザーは、UFO好きの女性と知り合って、彼女のビジネスの手伝いをしていました。しかしそのビジネスというのが売春だったのです。彼は何も知らずに顧客名簿の管理を手伝ったり、新しい女性をリクルートしようとしたりしていました。裁判では意図的でなかったことが認められたものの、有罪判決を受け、保護観察となったのです。こうして社会的信用も失ったため、たくさんの研究者が彼を嘘つきだと結論し始めました。あの、MJ-12を認めたフリードマンですら、ラザーの情報は偽物である可能性が高いとしています。

 

しかし、年月が経つにつれて、少しずつラザーが正しかったのではと思える情報が出てきました。

 

ラザーは1982年に、自分の車にジェットエンジンを搭載してかなりの速度を記録し、雑誌や新聞各紙にそのニュースが載りました。

これはアリゾナ・リパブリックという日刊紙からの切り抜きで、1982/8/21の記事です。この手の記事を発見してきた研究家がいて、そこでラザーがロスアラモス国立研究所の物理学者として紹介されているのを指摘しました。また、ラザーを世間に知らせたジョージ・ナップは、同じ1982年の、ロスアラモス国立研究所で働く研究者の電話帳に、ラザーの名前が載っているのを発見しました。

こうして否定派のUFO研究家すらも、ラザーがロスアラモス国立研究所の職員だったかどうかはわからないが、そこに出入りできる研究者であったことは認め始めたのです。

 

エリア51とS4の存在は2013年、アメリカ政府が認めました。とは言え、そこは異星人とは関係のない、トップシークレットの軍事機密を扱っているところだというスタンスです。一方、UFO研究家の間では、ロズウェルや各地に落ちたUFOが、ここでリバース・エンジニアリングされているというのが定説です。元素115は2003年に初めて合成され、2015年にモスコビウムという新元素として認定されました。ただ、ラザーの見た、安定している同位体はまだ発見されていません。

 

こうしたボブ・ラザー再発見について、最新インタビューまで含めたドキュメンタリーが作成され、「ボブ・ラザー: エリア51と空飛ぶ円盤」のタイトルで、2018年からNetflixとiTunesで公開されています。ここに出てくる、ボブを面接した調査官マイク・シグペン(Mike Thigpen)の話が興味深いです。プロデューサーのコーベルはこの男性が東海岸に住んでいるを突き止めました。カメラの前に出てくるのは断られましたが、電話で何度か会話できたのです。シグペンは個人的に、1989年に調査官として働いていてS4の人事担当をしていたこと、ボブ・ラザーを覚えていることを認めました。

 

ドキュメンタリーでは、ラザーの友人ジム・タリアニが彼を何度かCal Techまで送っていたこと、別の友人がやはりCal Techに送ったり、そこの図書館に迎えに行ったりしていたことが述べられています。これでラザーがCal Techに通っていた可能性が高まってきました。なお、これは別ソースの情報ですが、タリアニはUFO見物に参加していましたが、見張りに見つかった4/5には参加していなかったようです。彼はエリア52で働いていて、ラザーが5月にテレビに出るまでは、平穏な日常を送っていました。しかしラザーがテレビに出るとタリアニはすぐに連行されて、ラザーとの関係を散々尋問されたといいます。

 

ドキュメンタリーの中に、ラザーがS4に入るときに手をかざしていたという、ハンドスキャナーの話が出てきます。ラザーによると、これは手の骨の形状を読み取る認証システムで、むしろボーンスキャナーというべきものです。ラザーは昔からこのスキャナーのことを言っていて、彼を信じる研究家たちは、そんなものが本当に実在するのかどうかを調べていましたが、今まで誰も見つけられていませんでした。しかし今回改めて調べたところ、ネリス空軍基地のステルスプログラムに関する記事で、過去の秘密計画においてそういったシステムが使われていたという記述が見つかったのです。その記事には写真も載っていて、プロデューサーは手に入れた写真をラザーに見せました。

ラザーは嬉しそうに写真を見つめ、今になってよくこんなものが出てきた、と言い、もっと旧式だったけれど、たしかにこんな感じだった、と続けました。

ドキュメンタリーにはさらに、FBIやその他の国家機関が、大挙してラザーの家の家宅捜索をした件など、たくさんの興味深い話が紹介されています。

 

ところで、ラザーをS4に紹介したテラー博士はどう言っているのでしょう。ラザーはロスアラモス国立研究所で1982年にテラーの講義を聞きました。その講義自体は特に心を惹かれなかったのですが、その後でラザーが研究所の玄関付近を歩いていると、テラーが壁にもたれかかって、ロスアラモス・モニター新聞を読んでいるのが目に入りました。しかも彼が読んでいるのは、その時の一面にあったラザーのスーパージェットカーの記事だったのです。ラザーは心を決めてテラーに近づき、自分がその記事の男だと話しかけました。テラーはラザーの発想にとても興味があり、二人はしばらく話したとのことです。

 

この時の話があったからこそ、ラザーは1988年に、テラーにもレジメを送ったのです。しかしこの話をラザーが広めると、テラーは沈黙しだしました。あるインタビューでボブ・ラザーを知っているかと聞かれたテラーは「沈黙を続けたい」と答えたのです。また一方でテラーは、こういった声明を残しています。原文とともに書きましょう。

“I probably met him. I might have said to somebody I met him and I liked him, after I met him, and if I liked him. But, I don’t remember him.”

「私はおそらく彼に会った。誰かに、彼に会ってそして気に入ったとか、彼に会った後に、彼を気に入ったかどうかを言ったのかもしれない。でも、私は彼を覚えていない。」

すごく慎重な言葉ですね。明らかな嘘はつきたくなかったのでしょうか。1988年にラザーとの6年前の会話を覚えていたテラーは、1989年以降、ラザーを覚えていないと繰り返し、2003年に亡くなりました。

 

ラザーの主張は本物で、彼の経歴は消されたのだと思えてきませんか?

 

ちなみに出生証明書に関しては、1990年にラザー自身によって見つけられました。しかしその内容は、本人によると正しくないとのことです。彼は孤児として生まれ、すぐに今の両親の養子となったはずなのですが、その証明書では、両親は実の親になっているのです。一度は消した記録を、これだけ有名になると出生証明書だけは戻さざるを得ないと判断して戻したけれど、少し間違ったのかな、なんて思えてしまいます。

 

ボブ・ラザーの話の最後に、ここまでの話の、動画以外のソースリンクを挙げておきます。

 

The Strange Saga of Edward Teller and Area 5

The Bob Lazar Corner

Eric Davis: “Lazar Made Up His Entire Cockamamie Story

The Lazar Timeline

Lazar Flaws - The Birth Certificate

 

 

さて、私はラザーもナオミ看護婦も、その経歴を抹消されたのだと思っています。実際、宇宙人の解剖を見た看護婦と話したという、デニスの証言を裏付ける証言が、年とともにあちこちから出てきています。次回は改めて、デニス証言を追ってみましょう。