死後の世界はどのようなものでしょうか? | Siyohです

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音楽とスピリチュアルに生きる、冨山詩曜という人間のブログです

Quoraでこの質問があり、マジレスしてみました。本気で書いたので、ブログにも転載します。

 

明晰夢の世界を、たくさんの他人、あなたと同じような考えを持つ他人たちと共有するようなものだと思われます。

あなたはその世界を創り上げている一人なので、そこはあなたの深層意識で思っている死後の世界と似たような感じになるでしょう。ただ、あなただけの世界ではないので、完全に自由にはいきません。また、他の、あなたとは違う共有世界にいる人たちもたくさんいるので、会いたかった人にまた会えるとは限りません。

死後の世界は、こちらの世界と全く同じようで、違いは一度死んだことを知っているだけ、といったところから、もっと自由度が高く、瞬間移動もできるようなところまで、人によって様々です。どのようなところに行くかは、生きている時の精神の自由度と、深層意識でどう考えてもいたかに寄ります。

ただし、厳密に言うと、どの様な世界に行くかは他存在の思惑によっても左右されます。こうした世界の成り立ちには、いわゆる高次存在たちも関わっているようです。

それぞれの世界同士の行き来は、近いところへなら可能です。ここで、何を持って近いとするかを説明できる言葉を定義しなければなりません。一般的なスピリチュアル本ではこの要素を「波動」と呼んでいますが、実際に波ではないので、適切な言葉とは言えません。私はこの要素に対して、自著で「渦動」と言う言葉を作りました。波というよりは渦に近いイメージだと思うのです。この先はこの「渦動」の語を使います。

渦動数が近い世界が、互いに近い死後の世界です。また、ある一つの世界には、渦動数がほとんど同じ人たちがいます。渦動数が高い世界から低い世界への移動は比較的簡単で、かなり低い渦動数の世界まで一気に行くことができます。しかし、渦動数の極端に低い世界は、高い世界にいたものにとって、かなり暗闇に近い、居心地の悪い世界となります。逆に、渦動数の低い世界に馴染んでいたものが、いきなり渦動数の高い世界に連れて来られたら、周りには光しか見えず、これもまた居心地が悪く感じます。一番居心地が良いのは、自分の固有渦動数に見合った渦動数を持つ世界です。

渦動数の高い世界は天国、低い世界は地獄と、しばしば形容されます。とは言え、すでに書いた通り、地獄にいる人はそこに馴染んでいて、そこが住みやすいからこそ、その世界にいるのです。

なお、自分本来の稼働数に似合わない、それよりも低い稼働数の世界にとらわれてしまう人が時々いるようです。ただし、とらわれる理由はその人の深層意識によるので、ある意味、進んでとらわれているとも言えるでしょう。こうした人たちを助けるために、稼働数の高い世界からそうした世界へと訪れている人、というか霊たちがいます。

ところが、こうした霊たちは、とらわれている霊を積極的に助けるわけではありません。一つには、あくまで本人の自由意思がいつでも大事ということがあります。その人は「進んで」とらわれているので、その考えを変えない限り、助けるべきではないということです。

これは、この世における病気と似ています。よく、病気は自分が作り出すものだと言われています。医師の中には、病気を治すのはいつも患者本人で、医師ができるのはその手助けだけだと言い切っている人がよくいます。実際、治ろうとしていない人を治しても、結局再発するだけなのです。とは言え、病気になることを望んでいるのは深層意識で、表面の自分は治りたいと必死に思っているのが普通。これが、表面と奥底の自分が分離してしまっているから起きる悲劇の一つで、こうしたことを避けるために人は瞑想をします。

ちょっと話がずれましたが、死んだ後でもこうした、自分同士の分離はあります。この世での命を失った時に、人は若干表面が削れたような感じになり、少し考え方、感じ方が変わるようです。ただし、その状態でもまだまだ、自分のよく知らない自分たちを内側に抱えています。それだからこそ、自分本来の渦動数に見合わない死後の世界に行くことがあるのです。

渦動数の高い世界から来た霊が、積極的にとらわれ人たちを助けないのには、別の理由もあります。渦動数の高い霊は、低い霊からは光にしか見えず、そのままでは意思の疎通も困難です。だから、彼らは稼働数を低くして、コンタクトを試みるのですが、これには危険を伴うようです。渦動数を下げるのは比較的簡単ですが、上げるのは難しいようで、一旦下げてその世界に馴染んでしまうと、もはや戻せないといった危険性があるわけです。

これで少しでも死後の世界が想像できますでしょうか。ちなみに、渦動数に関する大枠の仕組みについては、人間が作り出したものではないようです。そのを作り出した存在が、「神」という言葉にふさわしい存在なのかもしれません。