今日も穏やかな海

ふふふ…いつまで穏やかなことか…笑

 

 

で、唐突に始めます。

 

もちろん

スピリチュアルな生き方を選んでいる人であっても

自分の寿命が分かっている人はあまりいないと思う。

 

でもね

人生の長さは、原始人の時代から比べると本当に長くなっていて

昔は40歳まで生きられれば長老だったのが

今では100歳まで生きる人が多くなっていて

 

今日、聞いた話では2023年で

92,139人も。

 

これからまだ増えるだろうということで

10万人には達すルと言う見込み。

 

昨日、自分の年齢計算を間違えていたというおバカな話を書いたけど

私であっても

あと30年は生きられちゃう計算。

 

はっきり言って

認識を変えなくてはならないときに来ている。

 

って

あったりまえじゃん!

 

と、笑うなかれ。

 

実感してるかどうかだよね?

 

つまり

 

老後という考えは、私には一切なかったけれど

まさに

本当に

老後という考えをなくさなければならない!

 

後というものがなくて

老だけってこと

 

 

(笑)

 

 

この「老」のタームに入ってから

終るまでという

新たな考え方を用いなければならない

 

 

最近、

私の周囲には60歳や60近くになって結婚しようとしている人たちが多くいて

私みたいに

何の苦労もなく、パートナーが出て来ちゃうというタイプではなく

 

今まで、結婚なんてしたくない

或いは、考えてもいなかった人たちが

結婚を考え始めていて

婚活を始めている

 

ここに、シビアな何かを感じるわけです。

 

私にとって結婚というものは「愛」と強く結びついていて

最初の結婚は自己愛のなせるわざであって解消。

2度目の結婚は、息子たちを愛しているからこそ決断したもの。

そして、今はアルマ・メリッサとして愛しかない関係を生きるための結婚。

 

もう、私の人生における愛の学びはコンプリートしたいと思っているし

多分、コンプリートするだろうと思う。

年齢とともに、愛についての感覚は、どんどん純粋になっていると思うし

スピリチュアルな意味でも、宇宙起源のパートナーを引き寄せ合うのは

MUSTなことだと思う。

 

何の打算もない。

そこにはね。

 

自分に忠実になると、どんどん自分らしい生き方ができるようになるし

恐れもなくなる。

 

ほんとよ。

 

これ。

 

 

それで

辿り着いたところで

認識したのは

 

すでに世界は変わったということ。

 

老後なんてないということ。

 

ブログがプロバイドしていたファイナンシャルセミナーでは

将来、親を欧州旅行に連れていってあげたい

とか

子供の留学とか

家を買うとか

そういうことを話していたけど

 

それ

もう、全部やったし

そのためにいくらかかるかなんて計算しなくても

いつも、いつでも、必要なエネルギーがやってきて

それをお金やチャンスに変換するだけで

なんとかナッテ来たし…

 

はっきり言って

今もそう。

 

そういった点では何も不自由なく生きていられる。

 

じゃ、お金の不安ってありますか?

と言われると

お金じゃなくて

それって

 

能力に対する不安かなって思うのね。

 

すべて、自分の勘とか、やってくるチャンスを受容することで出来上がっている人生だから

生きるための努力をしていないと言ったらいいかな…

 

言い換えると

 

自分の勘や、やってくるチャンスを受容することで人生が出来上がっている

だから

生きるための無駄な努力をする必要はない

エネルギーを注げるところにエネルギーをどんどん注ぐだけだ。

そのことを努力と呼ぶ人がいるけど、負荷がかかっていないことを努力と呼ぶべきか?

 

て、感じ。

 

 

生きることになっている間は、死なせてくれないという感覚。

 

まだ死んでないのは、生きて何かしなくちゃいけないことがあるからで

それをやり切れば

私の起源である宇宙へと帰るだけなのだよ。

 

だけど

まだ、全然帰る気配がない

 

 

(笑)

 

 

 

生き生きとしている!

 

 

 

 

(笑)

 

 

 

おもしろすぎる!

 

 

 

 

(笑)

 

 

 

なんか、知らない間に、作曲もさせられているし

再びキーボードも弾かされていて

 

最近では、譜面におこしてくれる親切な方が出て来て

もう

至れり尽くせり…

 

ありがたい。

 

 

多分

 

 

私、思うに

いろんなことやってきたけどね

一番抵抗のある音楽を、やらなくちゃいけなかったんだよねと

 

 

そう思ったのは

 

セルフエスティームカードを再販したことに準じて

セルフエスティームをアップさせるためにはどうしたらいいかということを

いろいろ学んでいたんだけど

 

これ

日本語では自己肯定感と呼ぶのだけど

自己肯定感を高めるために、肯定していこうという

ポジティブシンキング張りの考えをする人がいるんだけど

 

 

それ

 

間違っているということで

 

まさに

 

道徳的で常識的なこの考えを振り回す連中がまちがっているぞということで

 

行いと、評価されたことのみを「評価」する形でのホメ方とか

絶対に自己肯定感を失わせてしまうものだという理屈がそこにあって

なぜかというとBEの部分、シェイクスピアのあれね、

 

TO BE OR NOT TO BE…

 

このBE-存在

というところが認められない感覚が蔓延すると

自分が存在する意義を肯定的に見れなくなって

できるかできないか?

とか

できたか、できてないか?

 

みたいなところで

常に評価し始めるということで

 

 

ホメる親によって

自己肯定感を失う子供という状態、?症状? につながると言うことなの。

 

 

それで

自分を見返してみると

 

小さかった頃、

私は何をやっても、そんなことできるのが当然という見方をされていて

できていても、こき下ろされた。

 

理由は長女だからできて当然。

 

 

爆笑

 

で、

 

98点じゃ、駄目!

ホメられない。

 

学校の先生に怒鳴りつけに行く母親。

 

 

市の体育祭の単距離競争に学校から選ばれて出場した際

7人で走って5位だった私は

こき下ろされた。

 

 

な~んだ、学校で一番早くても、ぜんぜんだめじゃない~

 

 

と。

 

 

今は、ありがたくこの言葉を頂戴できる。

 

あんたの、ほうが遅いやん、わたしより。

私よりあかん人の評価ってなんやねん?

 

完全なる傍観者で観客でしかない人のご意見。

 

 

これ

 

アマゾンのレビューなどでも言えることで

出版したことのある人なら、人のことこき下ろさないよ。

 

本を書くってどれだけ大変かわかっているからね。

もちろん

AI使ったら早いとは思うけど

 

 

あんた、プロンプトつくれるの?

 

多分、プロンプト作れないというより、作らない人がそういうのよね。

 

 

こう言う風に、世界は前から二極分化していて

今更、二極分化とか統合とか、言ってる場合じゃない。

 

私から見ると

傍観者や観客側にいた人たちのお尻に火が付いているだけで

分化したラインがあるとしたら、そのボーダーのあたりにいる人には恐ろしいことかもしれないけれど

そのボーダーが見えないところまで、ぶ~~んと、分化したあとに移行しちゃってるから

もう、その二極分化という感触もわからない。

 

トーラス宇宙をぐるっと回って

統合しちゃってるかもしれない。

 

でも

統合なんてしなくても、最初からこき下ろされるところにいるから

なんでもへっちゃら。

 

 

 

 

ということで

私は、したことを誉められず、評価されず、それでも一番だったことが多いので

周囲の人たちの、理解不足に助けられて

 

自然に揺らがない自己肯定感ができあがったのだと再認識した。

 

筋がね入りだ!

 

しかも

 

分かりやすかったからね。

自分よりもできない人にこき下ろされるって

 

図式としては

あほみたい…

 

あほやから

 

そんなことするんやなと…

 

別に、馬鹿にしているわけではないけど、明白すぎる構図でしょ?

 

こう言う目にあうと、虐めにあったと言う人がいるんだけど

虐めにあったという感触は一つもない。

 

アホにしか見えない。

 

数学的に見ても、どういう比率デモの言ってるのか、わからない。

 

 

 

 

 

お蔭で、自己形成ができて

強く生きてくることができたと思う。

 

 

本当に、本当にありがたかった。

 

 

どんなにクレバーな書き方をしていても

レビューでこき下ろす人たちは、私のためになっている。

 

すごい

 

 

ありがたい

 

 

魂がパンパンに張っていて、つやつやして、ぴかぴか光っている感じがする!

 

叩かれた分、弾力性があるってこと!

 

ということで

なんか、再び人生がジワジワと面白くなってきてしまった。

 

働き盛りは75歳

という計算だな。

 

若い人たちはそこまで息切れしないように

できるだけ、めちゃくちゃに、自分のやりたいことをするといいね。

もちろん、堅実に生きるのもやりたいことをやっている姿として正解。

 

でも、そこから外れたかったら、外れるのもよし!

 

だってまだまだ人生長いし

世界は加速化しているから

想像できない未来が来るわけだしね。

 

火星に土地を買うことだって

夢じゃなくて出てくると思うよ。

 

月に赴任とかね。

 

 

子供はできるだけ地球で生みたいと思っていますとか

 

宇宙空間での妊娠期間が子供の脳に与える影響

なんていうタイトルがネット上に蔓延したり。

 

 

もう

そこまで来てると思う。

 

そんな世界が。

 

う~ん、自然になってるパパイヤ食べたい…