いきなりエンタングルメントの図

蛇で表されている。

 

 

今日のブログとは全然関係ないのです(笑)

 

 

さて

 

一昨日は、映画「ジャンヌ・デュ・バリー」の感想にかこつけて

ジョニー・デップとアンバー・ハードの壮絶な戦いの裁判を連日チェックしてました、私…

 

と、コンフェスしましたが、

これを類似と言っては、被害者の元女優さんに失礼だとは思いますが

丁度、彼女が告発動画をアップしたと同時期に

 

成田悠輔さんが、長渕剛さんのインタヴューをしていたとのことで

その①と②を見て

何かが理解できるかなと思っています。

 

今日見たのは②の方

 

ま、あとで見てください。

 

長渕さんは、私と一つ違いで、67歳。

彼が血と日の丸を結び付けている感覚は

わからなくもない。

 

特攻隊と日本を守るということを結び付けているのもわかる。

 

なぜなら、母は小学生の時に、明日飛び立つと言う特攻隊の前で歌を唄うという役目をおおせつかって

これ、NHKの「ブギウギ」で淡谷のり子が、特攻隊の前で唄うシーンがあったんだけど

それ見た人は、あのようなことがあったのだと思ってもらえばよいと思います。

 

その経験は壮絶だったと思うわけです。母にとって。

あとは焼夷弾が駅前に落ちて、知り合いの肉屋さんのおじさんが、肉片になった

と、いつも笑って話していて

肉と肉をかけて小噺にしたてあげているところがホラーだなと感じていた。

その話をした後、必ず空中を見つめて、涙を流しながら

本当だったら、今頃、舞台に立って唄っていたはずなのに

芸大落ちたから…もう、こんなところで女中働きしながら(主婦業のこと)生きていかなくちゃならなくなった。

あんたたちが生まれたから、しょうがないじゃない。

 

と、煙草をふかしていた。

 

家は、たばこ屋だったんだからね。

お父さんもお母さんも、表彰されるような教育者だったけど

私が育てられたのは、おばあさんのところ。米子だった。

髪結いだった、おばあさんの手伝いで、看板娘だったんだから。

だから、煙草に感謝して、吸わなくちゃ。

でも、こんなことしていたら、どんどん声が出なくなる。

でも、もういい。もう、唄わなくていいんだから。

だけど、子供で何もわからない私が、授業を抜け出して連れて行かれて

唄わされて

そういう時代だったんだよ。

 

それから、その恨みが私に向けられるわけです。

 

 

あんたなんか、そんな経験してないじゃない!

私たちは、食べるものもなかった!

 

ここあたりから、あんた ではなく、お前に変わる。

 

お前なんか、贅沢なことばかり言って

私なんか、オチオチ勉強もしていられなかった

それなのに、お前は、本ばかり読んでる

そんなもの、読んだって、女の人生は決まってるんだ

頭が良くなったって、どうにもならない

馬鹿な方が、何もわからないまま生きていけるんだから

ええいっ!

 

と、次は、私の本を取り上げて

 

壁に投げつける

 

(まさに、このあたりが「ジャンヌ・デュ・バール」に当てはまる私の心象風景。

女が本を読んで何になる!と、男に言われるのと

女に言われるのじゃ

後者の方が、憎らしさが漂うし、女が女の足を引っ張るのは、今も同じ

馬鹿でいいのよ、みたいな発言がそれ。)

 

 

そこらへんで、

私は、やっと

 

やめて!

 

と、叫ぶ。

 

そして、母は続ける。

 

ロシアが攻めてくると言われて、

中国山地に疎開しているとき、みんな小瓶に入ったヒ素をもらった。

胸ポケットにヒ素をいれておいて

ロシア兵が来たら、飲めと言われた。

 

毎日、その時のために小瓶を取り出して飲む真似をして

練習をさせられた。

 

お前は

そんな経験もしていない!

お前は、

私たちがそんなことをさせられていたことを知らない!

それで、お前は、のうのうと学校に行って勉強して帰ってくる

クラブだのなんだのって

 

そんなことができるのは

みんな

 

あの日、飛びたって行った

私の歌を聴いて飛び立って行った特攻隊の人たちがいたからなんだ!

そんなこともわからないで、何様だと思っている!

 

 

と、

 

 

 

毎回、こういう論法で言われて

 

まさに、成田さんが長渕さんの言について

「論理が成り立っていないけど、感動する」みたいなことを言う部分と根底が似ているところです。

 

この、論理のない「持論」を展開させる人は、知識や知性をめっぽう嫌うんじゃないかと思ったりする。

背後には、なんらかのコンプレックスがあって、それが原因で論理の背骨がなくても

感情論で通せばよいと思っているのかもしれない。

 

そういうところが音楽と結びついているのが、私は苦しくて

音楽を聴くと息ができなくなる感覚があった。

すごいコントロールを背後に感じて、小節ごとに割り振られているのも煩わしい。

その点、踊りは、その小節を利用しつつ、区切り線を動きと肉体で消していく感覚

 

 

私は

 

本当に、特攻隊が、日本を守ったのか?と、調べたりして

いや、大変だよ、あのころ、百科事典しかないし、検索エンジンもないしね。

 

あの時は、すでに日本は劣勢だったし

鉄が非常に少なくなっていて

特攻の飛行機も、なけなしの鉄で作られて

あの行動にも賛否両論があったことや

特攻を提唱した後藤という人は、特攻に行かず、生き残ったことなど

いろんなことを調べて知って

結果的に、日本は敗戦したということや

その後、言語はとりあげられなかったけれど、アメリカの属国となり

中国やロシアに対する、反共の防壁としての役割を担わされ

原爆も落とされたあげく、

核の傘の下で守られるという安保条約に調印したのが1960年。

55年生まれの私は、5歳だったけど、この状況を理解していた若者や識者たちが

安保闘争を行っていたのをテレビで見て、知ってる。

 

そこで

 

状況の理解が、自分目線でしかない母に対して

毎回、何かひとこと言ってしまう。

 

そして

その次は、平手打ち。

 

時には、ストーブの上で煮えたぎった熱湯を、やかんごと、私の方に投げる。

 

ちゃんと逃げられるよ、私(笑)

 

 

壮絶でしょ?

 

 

これを虐待と呼ぶ勿れって感じ。

狂気なのよね、狂気。

時代というものに虐待を受けたのは、母たちの世代。

 

でも

いつも私が思っていたのは、こんな話は聞きたくないけれど

拭ってもぬぐっても蛆虫みたいに湧いて出てくるから

聴いてあげる人が必要なんだ

もちろん、戦争は私のせいではないことはわかっているが

この、やり場のない気持ちを聴いてあげられるのは

私がこの人の娘だからだ。

 

3人子供を産んでも

これをぶつけられるのは、一番、その戦争に近い時代に生まれた私しかいない。

 

できるだけ生意気な顔をして、聴いていてやろうじゃないか。

 

 

ふん!

 

 

カウンセラーでもないから、聴く技術なんかないよ私には、その頃はまだ幼いし、若いし。

 

これが

どんどんエスカレートして行って

母の祖母がとうとう、私に渡したものがあった

 

トランキライザー

 

「純子、鼻をつまんで口の中に入れればいいから」

 

 

 

実際に、そうしたかどうか

もう…記憶が定かではないけれど

 

水に溶かして飲ませたんじゃないかなと

うっすら覚えている。

静かになるから、都合がよかった。

 

ということは覚えている。

 

 

 

ただ、マリリン モンローがオーバードウズで死んだと言う話は有名だったから

飲ませすぎてはいけないなと、子供心に思っていた。

 

以前、歯が痛くなったら、飲みなさい

と、セデスひと箱、学校に持たされて

全部飲んでしまって、朦朧としてきて

先生が、驚いて用務員の自転車に乗せて、私を家まで送り返し、

近くの医者に連れられて行って

緑茶を目一杯飲まされて、嘔吐させられた。

胃の中に、セデスが残っていないように

ドロドロの緑茶を飲まされては吐いた。

 

お医者さんは、

6歳の子が、セデスひと箱飲んだら、命にかかわります。

よく、箱の説明を読んで、渡さないと

お母さん、この子を殺してしまうことになりかねませんよ。

 

 

と、

言っていたのを覚えている。

 

でも、この近所のお医者さんの奥さんは、自宅の庭で首を吊って自殺したということを聞いていたから

大人は、みんな同じ穴のムジナじゃないか…

と、子供心に感じていた。

 

外から見えるお医者さんの家の木を見るたび

どの木にぶら下がったのだろう

苦しくないのかな

お化けになってまだそこにいるんじゃないか?

と、ぐるぐる考えた。

 

これ、かつて東の田園調布、西の荻窪と呼ばれた2.26事件の舞台にもなるほど

大臣らの住まいがあった荻窪での話。

 

あらら、今、大磯にいるってことは、なんかその大臣が住んでいたところという感覚が

残っていてのことかな?やば~い(笑)

 

 

 

 

 

何が言いたいかというと

私や長渕剛さんの年代というのは、まだ戦争の血の匂いが消えておらず

無理矢理、発展した社会の中で

テレビや冷蔵庫、洗濯機、そして電話が普及した1955年

映画は、ゴジラ

石原裕次郎や三船敏郎の時代

 

ジャニーズなんかまだなくて

ロカビリーが日劇で演奏していた時代

 

必死で、立ち上がった日本人の心の中には

安保条約に反対する、情熱こそ残っていたけれど

真実を語れば、命が無くなる危険も同時に感じていた。

 

同じような年代から

だから、教祖たちが生まれたと思う。

 

麻原彰晃

大川隆法

 

教師じゃないけど

 

安倍晋三

 

みんな、私と同じ世代だ。

 

みんな、そういう匂いを大なり小なり嗅いで生きて来た

そういった意味で、仲間というか、同時代人。

 

そう思いたくないけど

だから長渕剛が、感じていることは成田さんが言ったように

「論理的じゃないけれど、心に響く」

という感じ。

 

そういう、感情がベースにあって、そこに音楽があった。

それで

音楽を糧にした。

 

美空ひばりがいた

笠木シズ子がいた

淡谷のり子がいた

 

その後にジャニーズが出て来た

 

それから

そういえば、やっぱり同年代の桑田クン

 

サザンや、アリス

YMO

 

『いちご白書をもう一度』

 

を聴くと

やっぱり60年代安保の忸怩たる思いが、70年、80年と

つたわらず、どんどん洗脳されて

長い髪を切って、ビジネス戦士になっていく

 

日本人同士でも、世代が違うと、伝えられていないことが多く出て来て

 

はだしのゲンとか

蛍の墓とか

 

そういう

作品が伝えてきた本質が、他の楽しそうなアニメに変わって行く

 

ま、それがいけないわけじゃないけど

 

戦争を知らない子供たち…という歌が表したように

 

戦争を体験したことがない子供たちのことではなく

 

戦争があったことさえしらない子供たちがいる世の中になって

 

成田さんの年齢で

ぎりぎりなのかな…

長渕剛の言いたいことを、情感で受け止めるってのは

 

というところで

 

このシーン

 

乾杯をうたってくれる長渕さんの歌に耳を傾ける成田さん

 

こんな表情、始めてだね

 

 

成田さん、どうしたらいいかわからないよね

 

だって、このインタヴュー、もしかしたら

伝説のインタヴューになるかもしれないって、感じ始めていたと思うし

 

2025年の桜島のコンサートのステージの上で、

この人、死んじゃうんじゃないかって

感じてしまっただろうし

 

 

こんな顔して

ざまあみろって気持ちっす

ステージで死にたいっす

 

と、言うからには

スキャンダルとか、告発とか

ちっちゃいものだと思っていて

 

親の世代から感じ取った「日の丸」の意味や血の意味や匂いを

どうしたらいいのかわからないまま、唄って来た人の中にある

 

 

桜吹雪

 

 

 

 

 

私は感じた。

 

 

 

多分、そういう血の匂いを肌感として感じているのは

昭和30年前後の連中なんだろうね。

 

みんな

 

日本をどうにかしたいと思っていたんだね。

 

 

強く戦える人を、ちゃんと選んで、暴行監禁レイプを働いたってことだな

戦える人を必要としているわけだから

 

みたいなことを思った。

 

しかし、おしい

彼女は、素晴らしい表現力と訓練されたアーティキュレーションを持っていて

発声も、基本がしっかりしていて、あんまりいないよこういう人って思える器の女優さん。

これを機会に、戻って来て、良い作品に出てほしいと思ったくらい。

 

ということで

アンバー・ハードの欲まみれの戦いよりも

ずっと、深いものがあると思うこの出来事あるいは事件…かな、このこと。

 

はっきり言って

音楽聴くのが苦しかった私にとって長渕剛という人は

本当に、あまり知らない歌手。

 

この手の歌は苦手なの。

 

私はなんと言っても、どんなに侵略されても

セレナータで愛を唄うラテンのメンタリティが楽…笑

 

苦しさや悲しさは、メジャーコードで奏でて、美しく唄いあげるというメンタリティが今は楽だな~

 

ということで

続投します

 

長いブログ、読んでくれてありがとう~