これはAIが描いた森。どこにもない森。

これは、うちの近くの林。歩いて30秒ほどのところ。

 

比べる必要もないんだけど、実際にこの目で見ているものと、そうでないものが

私の脳内に共存しているということを

感じてみたり、考えてみたりすると

 

いままでだって、ずっとそうだったと言うことに気づく。

 

ゴッホとか、実際にあり得ない夜のカフェを描いているし

本物のパリのカフェそのものは、あんなカフェじゃないし

で、

その双方は脳内にあって

共存させていられるしね。

 

で、文章、絵(写真)、音楽と3種類のAIを使ってみて

指示を出すプロンプトは、どちらにせよ言葉であって

シーンを表すための適切な言葉が、これから、結構、重要になるんだなと思い始めているところです。

 

で、

 

シンギュラリティは2040年だと思っていたら

 

どうやら、2025年

 

つまり

2年後ということになるらしい

 

連日、Chat GPTのことを書いているけど

今日は、絵を描いたり、作曲するところまで行ってしまい

 

私は、この年齢になって、初めて実際に作曲やキーボードプレイをしたのに…

もう、言葉をプロンプトするだけで、数分で作曲できてしまうところまで来ちゃったということで

思った以上に、やはり、シンギュラリティは近づいているのだなと思って調べてみると

 

やはり

前に書いたとおり、

15年も前倒しになってしまったということだった。

 

しかし

 

ここに2025年という数字が出て来たからには

きっと、もっと早まっていくのではないかと思う。

 

それで、

世界はどんどん、AIとコープする方向にじりじりと向っているらしいけれど

日本は、言葉の壁があって

やはり、ここでもまたガラパゴスになっていくのではないかと言われている。

 

ChatGPTを使い始めたのは、私も最近だけど

このまま、その存在に触れもせず、利用もしない人も出てくるんだろう。

 

そして、

I HOPE

ここまで来たら、やはり人間が目の前で引く、ギターとか

カラオケなどではなく、楽器を弾く人たちが、ちゃんとそこにいる、バンドやオーケストラが

珍重されるようになるということ。

 

人間は、自分でできる技術や芸術を手放さなければ

磨き続ければ

それはそれで

ステキなものなのだと、認識して

使い続ける、やり続ける、奏で続ける。

 

そして

そうなると

踊ることとか、走ることとか

 

超!大切で、必要なこととなっていくんじゃないの???

 

かな???

 

イキテイルうちに、こんな世界になってしまうなんて

思ってもみなかったよね。

 

でも、こんな世界にシフトしたということを知らない人も、まだまだたくさんいる。

 

そのギャップを埋めるところに

何か、チャンスもありそうな気がしている。

 

で、

シフトしない人たちのように、旧態依然としたものを、後生大事にしていけるかと自分に問うと

そ~だな~

 

私という人間にとって、それは無理なんだわと、分かるわけで。

最先端を行くことは、すでに難しいけれど

使いこなしていくことで

ある種、時間を超えることもできるわけだし

AIそのものも、毎分、進化していくから

これから、数年間は、面白いクリエイションを楽しんでいけるだろうなと思う。

 

しかし

 

要は、その後だ…

 

2025年には、人間しかできないことをしていないと

存在の意味がなくなってくるのじゃないかとさえ思う。

 

そこで

身体というオブジェクトがどれほど大切なのかを、再認識するようになるんじゃないのかな…

それで、五感についても

六感についても

もっと磨く必要も出てくるだろうし

2025年のシンギュラリティによって、終わる、たった2年ほどのAI協奏曲!による興奮のあとの

落ち込みに備えておくべきだと思う。

 

ある人にとってはそれは土いじりかな?

野菜を作ったり、動物と触れ合うことかな?

 

私にとっては

自分の脳を楽しむことよりも、

動く指…ピアノの鍵盤をたたくことや

多分

 

踊ることと舞うことになるんじゃないかと思う。

 

また

そこに帰るか…

でも

踊ることを考えると、嬉しい

心が躍る

 

そうシンギュラリティの後には

人間が心躍ることをやるしかなくなるんじゃないのかな?

 

と、今日の考察。

 

で、この文章全部を、Chatくんにまとめてもらうとどうなるか?

やってみる

 

するとこんな風になった

 

私は、実際に見たものと見ていないものが脳内に共存することを感じたり、考えたりすることで、そういう考え方がいつからだったかに気づいた。実例として、ゴッホが描いた夜のカフェは現実には存在しないが、私たちの脳内には存在している。文章、絵、音楽の3種類のAIを使って、適切な言葉を指示することが重要になるのではないかと思う。

シンギュラリティは2040年だと思っていたが、実際には2025年に近づいているようだ。そして、AIがどんどん進化するなか、日本は言葉の壁のためにガラパゴス化してしまう可能性がある。ChatGPTを使い始めた最近、人間が手放したくない技術や芸術を磨いていくことが重要だと思った。また、2025年のシンギュラリティによって、落ち込みを避けるために身体や五感・六感を磨く必要も出てくるだろう。私にとっては、踊ることやピアノを弾くことが心を躍らせる活動になるだろう。シンギュラリティの後には、人間が心躍ることをやるしかなくなるのではないかと考える。