あけましておめでとうございます。

 

2022年は、こんなコンセプトで行きます。

脱スピリチュアル ブレグジッドなどと同じ表記の仕方でスピグジットと言う感じです。

 

Spixit 英語で書くとこうなります。

で、全体的にこんな感じのHPに仕上げています。

 

なぜ、スピグジットというコンセプトにしたのか

そこを少し説明しますね。

 

実は、今、北海道の北広島というところにあるモール温泉のあるホテルにステイしていて

まあ、お正月のんびりHP製作でもしようかなということで来ているのですが

温泉に入って、お食事を出してもらって、で、HPのデザインをサクサク行って

窓の外に、放射冷却ででき一反木綿のような白い帯状の空気の流れを見たり

吹雪を見たり、星が輝くのを見たり、日の出前の鳥の動きを見たり、朝焼けを見たり、

そして

先ほどは、温泉の中で、なんとダイアモンドダストを見て・・・しまい・・・ました。

見ただけでなく

身体中に浴びてしまいました。

 

実際は、太陽の光で輝くのがダイアモンドダストですが

あたりが真っ暗で、温泉の電灯だけが煌々と輝いていて

そこに雪の粉が落ちてくるので、キラキラ、チカチカ・・・

 

それはもう、本当に美しいというよりほかなく、

その光のシャワーは、めちゃくちゃ冷たいのですが

温泉に半身つかっているので、耐えられるんですね。

 

あまりの美しさに、茫然としながら

というのも、

こんな光景を見たのは、初めてで、もちろん、雪の温泉には、何度も来たことがありますが

ダイアモンドダストが自然に浴びられる温泉なんて…本当に知りませんでした。

 

そして、そのチカチカ光る雪の粉を浴びていたら

猛烈に、書きたくなってきて、文章がどんどん頭の中に出てき始めたんです。

 

ということで

ここからは、猛烈に出て来た部分を書きます。

 

始めて、ツイン・レイと言う言葉を聞いたのは、

もう、ずいぶん前のことで、ロンドンでオーラソーマを習っていた時だと思います。

その時は、まだ、2度目の結婚もしていなかったのですが

結構、結婚は現実的な生活やビザの取得とかかわっていたし

何しろ、私には男の子が2人いたので

恋愛の延長のような話には、あまり興味がなかったのでした。

 

その頃のスピリチュアル系としての「愛」の概念は、もちろん「無条件の愛」を最高の愛としていて

それは、男女の愛というよりも、むしろ人類愛であり、博愛であり、親子や師弟関係などにもみる

肉体関係のない愛が結構取沙汰されていました。

別に、肉体関係について、困難な気持ちや、嫌悪感があるわけではありませんが

欲望と愛の違いというようなディスカッションも、あちらこちらであり

タントラ流セックスなど、結構、マニアック…(かな?)な関係性を構築する人達も中にはいましたが

やはり「無条件の愛」とは、何ぞや?と言うような世界だったなと思います。

 

そういうこともあって、

ツイン・レイやツイン・フレームについて、ちょっと講座の中で習ったのかな?

話にあがっただけだったのかな?

忘れてしまいましたが、

あまり興味をもたなかったのでした。

 

しかし

おととしの夏至を過ぎたころから、ツイン・レイという言葉がどこかからか耳に入ったり、目にしたりするようになり

気にとめることもなかった、その言葉に

しかし

実は、違和感を感じていたのです。

 

自己の己としての、そして個性ある一人格としての個の自分を大切にしてきたのに

ツイン・レイと言う概念のもとには,それが己でも個でもない「片割れ」となってしまうのか…というがっかり感がそこにありました。

小さなころから、自立と言うことを課題にしてきた私にとって

個や己は、大切なもの

でも、ツインの片割れと言う言葉が、この個と言う感覚をなし崩しにしてしまうのです。

 

別に、ツイン・レイである必要はないのだから

なぜ、がっかりするのよ?

関係ない…で、いいんじゃないの?

 

と、思いつつも、この違和感をどうにかしたいと思い始めました。

そしてツイン・レイの統合のプロセスにある

ランナーとチェイサーとなってサイレント期間を過ごすとか

その話が、私には、どこかチープな恋愛ゲームのようにしか、感じられない。

 

還暦をとっくに過ぎた私からみれば、もちろん人生の中で恋愛経験は、人並みに複数回しているわけで

それぞれの恋愛の中でのコミュニケーションの不和が、必ずこういうランナーとチェイサーのような関係を生み出す。

つまり

言い換えれば

 

これ

 

ツイン・レイじゃなくても

普通の恋愛じゃない???

 

もともと、マルグリット デュラスのラ・アマンのような関係が、ツイン・レイの在り方だと思っていたので

全部がそうとは言いませんが、あちらこちらに書かれていたり、説かれているツイン・レイというセオリーは

なんとも

 

夢見る少女の恋愛談義のように思えてしまうのでした。

 

そして

実際に無条件の愛の中に突入するためには、なまじじゃないよということが実際にわかってきたのです。

 

さて、これが、5次元を表す幾何学ですが

この中に、立方体が何個みつけられますか?

 

意識が現実を創るという次元の幾何学…

 

そういった観点から、ツイン・レイを紐解いていくとすると

ツインの考え方そのものが違うのだとわかって来ました。

 

ということで

今日はここまで。