無条件の愛の始まり



乗ってきちゃったので
続きを書きます。

しかし…ブログというものを始めたのは2004年だったので、
もう、17年目ということになるのですが

ブログ17年続けるって
本当に、大変なことです…

って


(笑)

書きたいときにしか、書かないブログなので
本当に、気まぐれでしかないのですが

自分の考えをまとめることもできるし
覚書としても、日記としても、重宝しています。

ということで
この気まぐれブログですが
前回から、続けますね。


愛することって、見ることから始まるという話をしているのですが

この場合、見るといっても、目の悪い方には
雰囲気を感じる、温かさを感じる、触る…みたいな感じが値するのかなと思いますが
ふつうは、「会いたい」という表現になるところを
わざわざ、「見たい」ということなのよと…

言いたいわけです。

会いたいということは
見たいということ
だと、集約したいのは、やはり「見る」ということは、愛でるということそのもので
自分が誰かに恋しているか、あるいは愛されているかのバロメーターは
やはり

見る、見られる Mirar…からくると思います。

もちろん

聞く、聞かれる もそうではありますが
これは「きこしめす」からきているとすれば

相手を飲んだり食べたりしちゃうという、つまり、味わうということにつながるわけで…
愛でるのなかでも、最上級の感覚になるんじゃないかなと思うわけです。

大好きな人の声を聞く、姿を見る

大好きな人の声を聞きたい、姿を見たい

これが恋愛の基本。

そして、その大好きな人に、自分の気持ちを伝えるためには

マジで正直にならないとできないことです。

ここで、手練手管を使おうとするのは、愚の骨頂。
よく、じらしちゃおうとか、そういうご意見をのたまわる方たちもいますが
だめです。そういうことしたら。

恋も愛も、自分を成長させるためには、一番のサブジェクトですから
絶対に、嘘をつかない
ま、それは当然のことで

正直になること
が、

やはり、すごく大切です。

正直になれないとしたら、まず、そこからはじめないとね。

ということで、自分自身に対する、無条件の愛からはじまるのが恋愛だよということ
愛することだよということで

ちょっとお休み・・・

続きます