特攻隊として飛び立つ前に、実家に帰してもらえるわけではない。

 

実の両親のところに帰るには、時間もかかるだろうから、

近くの一般の家庭に一晩泊まらせてもらい、まるでその家の息子のように

ご飯を食べさせてもらい、お風呂に入れてもらい、床をとってもらって寝させてもらえたと言う。

 

青年がその家に着くと

両親と同じ年くらいの夫婦が迎えてくれた。

 

玄関の引き戸をガラガラを開けて

 

「ごめんください~」

 

と、声をかけると、2人そろって出てきてくれたのだ。

 

「おかえりなさい。」

 

夫婦は、初めて会うその青年に、そう声をかけた。

 

あ…

 

青年は、その声かけに答えて、はにかむように

 

「あ…、はい、ただいま帰りました。」

 

と、答えた。

 

夫婦と青年は、そのやり取りが、どこかごっこ遊びのようで、ちょっと楽しくなり

声をたてて笑った。

 

「さあさあ、靴を脱いでおあがりなさい。」

 

玄関で促されて、靴を脱いだ青年は、少し、辛そうに、腰をかがめた。

 

「どないしたん?」

 

「いえ、自分のことは気にせんでください。大丈夫です。」

 

時間をかけて靴紐をといて青年は家にあがると、久しぶりに畳みの上を歩く感触を楽しんだ。

 

小さな庭があって、風鈴がチリンチリンと鳴っている。

 

どこにでもある、普通の家庭の香り

仏壇のお線香と、供えてある果物が熟れすぎた匂いと混ざりあい、何とも言えない独特の雰囲気を醸し出している。

 

台所の奥の方から、以前なら気になることもなかった「糠みそ」の匂いが漂い、

煮干しなのか、鰹節なのか、昆布なのか

その全てがまじりあったところに、醤油の匂いが更に交じって

 

香ばしいけれど、どこか磯臭くて、懐かしい匂いとなって

茶の間のほうに流れ込んで来る。

 

茶の間に通されて正座をした青年は、夫婦を目の前にして、深々とお辞儀をした。

 

「おじさん、おばさん、本日は、私に一宿一飯のもてなしをありがとうございます。」

 

夫婦は、青年の顔をそらすことなくじっと見つめると、

なんだ

 

この子、

 

 

まだ

 

 

ほんの子供じゃないか

 

 

まだ、少年じゃないか

 

 

 

 

妻は、一瞬夫の方と見ると、夫は静かにこう言った。

 

「私たち夫婦には、子供がいないので、あなたが来てくれて大歓迎です。」

 

夫のあとに、喋りたくて仕方がなかった様子の妻が続けた。

 

「今晩は、自分の家だと思って過ごしてもらおうと、何もないけど、きっと好きじゃないかと思うものを

こさえました。おばさん、おじさんて呼んでもいいし、今日だけ、お母ちゃんって呼んでくれてもいいのよ。」

 

青年は、まん丸な驚きの目で見返すと、

 

「自分には、本当の母親がいますから、おばさんのことは、おばさんと呼ばせてもらいたいです。おばさん、おじさん、よろしくお願いいたします。」

 

一通りの挨拶をすますと、

 

「ま、無礼講で行こうじゃないか。足を崩して、楽にして。」

 

青年が足をくずすと、3人の緊張はいっぺんにほぐれ、台所で火にかけた鍋が沸騰していることに気づいた妻が

 

「あ!大変。」と、立ち上がって行くと

 

「将棋でもやるか?」と、夫が声をかけた。

 

 

 

 

軍服を脱いだ青年は、夫婦が揃えてくれた浴衣に帯を緩くしめて

普通の家で過ごす時間を感じていた。

 

「こんな時だから、しょっちゅうお湯を焚くわけにはいかないけど、今日は、あんたのためにお風呂をたてたから

ゆっくり入ってくださいね。」

 

「ありがとうございます。」

 

青年を湯殿に連れて行って、着替えを手伝おうとした時、玄関を上がるときに暫し腰をかがめていた原因が

見て取れた。

 

「こんなに、腫れあがって、血が滲んでいるけど、ここ、どないした?」

 

「おばさん、これは上官に叩かれた痕です。自分は、弱そうに見えるから、叩き直してやるといって叩かれました。」

 

「だけど、こんなになるまで叩くなんて、ひどいことされたなあ。」

 

「おばさん、弱音を吐いたら、また叩かれます。こんな棍棒で何度も何度も叩かれて、もう立ち上がれないかと思うほど…」

 

「ひどいことされたなあ。痛いかもしれへんけど、はよ治るように、お湯につかって暖めてな。出てきたら、ご飯食べような。」

 

こんな会話をした。

 

白いご飯を炊いて、魚と芋を煮つけたもの。

キュウリと茄のお香子

特別な食事だから、味噌汁の中に、卵をひとつ落としたもの。

 

佃煮が少しと、ミョウガとショウガの酢漬け。

 

何の変哲もない家庭料理だが、物資のないこの時代に、それは、青年には、すばらしいご馳走だった。

 

「たんと食べ。」

 

「自分は、胸がいっぱいで…」

 

「ええから、たんと食べ。」

 

「今日のために、手に入れたものがある。どうだ、一献やろうじゃないか。」

 

「おじさん、自分はまだ…酒を飲む年齢ではありません。」

 

「いいから、飲め、今、飲まないと一生飲めないぞ。」

 

青年は、はじめてお猪口に酒を注いでもらい、ぐっと飲み干すと、アルコールにむせた。

 

その様がおかしくて3人ともあはははと笑いながら、夕餉の時を楽しんだ。

 

 

食事が終わると、青年は、最大のもてなしに礼を述べ、

 

「明日、早く隊に戻らなければならないので、休ませていただきます。おじさん、おばさん、今日は本当に楽しかった…」

 

と、部屋に引き取った。

 

 

部屋には床がとられていたので、青年は掛布団の上に転がった。

 

何も考えないようにしようと思えば思うほど、父のこと、母のこと、兄弟姉妹のことが頭に浮かんだ。

 

 

今晩は、自分がこの世ですごす最後の夜だ。

 

 

寝てしまえば、起きた時はすでに明日になっているだろう。

少しでも、起きていれば生きている時間が長くなるか…

 

 

 

目をつぶると、死ぬかと思うほど、棒で叩いた上官の顔が浮かんでくる…

お国のために死ぬ勇気がない奴は…と、言いながら自分を叩いた上官は

明日、自分が敵の軍艦に突っ込んで死んでも、まだ生きていくのだ

 

 

そんなことを考えていると、

 

 

「ごめんね~もう、寝たかね~」

 

と、おばさんが、部屋に入って来た

 

 

「いえ、まだ寝られずにいました。」

 

「ちょっとええかね。」

と、寝転がっている青年の浴衣の裾をいきなりめくると、

 

「ここや、ここやね」

 

と、風呂に入るときにみつけられてしまった傷を探し出し

 

「軟膏つけとこう・・・はよ、治るようにな。」

 

 

「自分は、明日特攻に出るので、もう、この傷が治る時間はありません。」

 

「あかん、そんなんあかん、明日死ににいくとしても、はよ治るようにと軟膏をつけるのが人間や。

お国のために死ねと叩く人もいれば、はよ治しと、軟膏をつけてあげる人もいてええんや。

はよ、治るとええなあ。はよ、治し~、はよ、治れ~」

 

おばさんは、まるで唄うように、はよ治れ~はよ治れーとやさしく軟膏を塗ってくれた。

 

 

・・・

 

 

戦争が終わった後、特攻隊の前で歌を唄った母が近所のおばさんに聞いた話だったそうだ。

子供のころ、こんな話ばかり、ほとんど毎日、食事の時に聞かされた

 

そして

食べられるだけでも、幸せだ

と、言われ、好き嫌いを言えば、こうやって死んでいった人たちの恩に報いることがないと

叱られた

 

おばさんは、母にこう言った

 

翌朝、早く、隊に帰って行ったから

そのまま、飛び立ったんやろね

 

青年の頬は、まだ、まあるく、幼さを残していたんよ

 

まだ、子供やった…

 

8月6日から続いた、私が伝えておかなければと思うお話しは、終戦記念日の今日で区切りをつけたいと思いますが

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あの日、広島で起きたことを書いたブログはこちらです。

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https://ameblo.jp/sivjuju44/entry-12396098460.html

 

戦争に導いた法ともいわれる「治安維持法」についてはこの動画を。