1945年8月9日 羅津(朝鮮半島北東部)は火の海となった。

 

羅津の町は焼かれ、港の船は泊められた。

 

 

羅津港には

 

ソ連が参戦する前から米軍機が飛来していた。

 

目的は、港に停泊している船の封じ込めである。

 

そのための機雷投下である。

 

その惨状は羅津高女の文集にも詳しく書かれている。

 

 

海上に墜落した私は、避難民と共に半島を南下した。

 

 

 

 墜落から何とか助かったと市民等と一緒に日本を目ざして

 

逃避行することになる。

 

 

 雨の日も、風の日も

 

昼も夜も ただ ひたすらに 少しでも日本に近づくために 歩く。

 

ボクは8月20日に 元山海軍航空隊に着いたが

 

あの人たちはどうなったのか。

 

関連事件の一部  (1945年)

 

8月12日

 

麻山事件

 

ソ連軍の侵攻後、満州の麻山で避難途中の満蒙開拓団400余名が、

 

逃げられなくなって集団自決をした。

 

8月17日

 

恵須取病院看護婦6人死亡 集団自殺

 

8月20日

 

真岡郵便局交換女子9人自殺

 

8月22日

 

三船殉難事件

 

樺太引揚船 留萌沖でロシア潜水艦に撃沈される。

(小笠原丸・第二新興丸・泰東丸)

 

 講演会時 配布資料より

 

 体験 生涯学習出前講師 神馬文男 氏

 

 原画 太宰 信明 氏

 

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シベリア抑留体験を語る会札幌

 

会長 建部 奈津子