昭和の生まれです。

いちおう程度におなご。

幽霊と呼ばれるもの、私はあるんじゃなかろうか?と思っていますフンワリと。

まだ現生人類、自分たちの脳の機能だとか器質的なことすら完全には分かっていないわけで、その辺の今のところよく分かんない事柄をまとめて幽霊とかって言ってる可能性あると思うんだよな。


『源氏物語』は平安時代にものされた文学作品だけども、そこには思いの丈が募って生きながらに身体から何かが抜け出して恋敵を害してしまうくだりがある。


恋かどうかは別にしても、例えば今はない建物や今はない人間関係を思い起こすとき、私たちは何か飛ばしてる可能性は全くないのか?

有るか無いか、その辺もまだ分かってないのが実際なんじゃ無いかと私は思ってるのです。

絶対にない、ことが分かっていない以上、有るかも知れない、と思っておくべきなんじゃないか?


そのような よく分かんないもの の一つとして、幽霊も絶対にないとも言えないものとして、有るかもなぁ、と思っています。


一節に、人生で自分に瓜二つな存在が世界に3人くらいはいるものだ、というハナシがあって、遺伝子の組み合わせだったり発現の仕方だったり、80億人超のヒトがいるなら、ありうるかも知れないと思っています。


私たちが呼吸するときに、古代ローマの皇帝が吸ったのと同じ酸素原子が呼気に1つ以上含まれる可能性はゼロではないのだそう。

地球圏の物質が重力諸々の縛りで循環し続けているものならば、意識や記憶に関する物質も同じように使いまわされていて、何処かで混濁している部分があるかも知れない。


そのようなものとして、やはり幽霊と呼んでいるもののうちの何かが将来的に解明されて、存在が証明される、現象が認識される、ことはあると思う。まだ今分かってないだけなものを無いと断じてしまうことに躊躇いがあります。


うまく言えてる感じがしませんが。

幽霊を信じるor信じない

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 さてさて、私の通った公立の高校は共学でしたが野球部がありませんでした。

そんなこんなで、高校野球は今ひとつ応援するでもなく他人事になりがちです。

器械体操みたいなのはお稽古事として幼少期から小学校卒業くらいまでやっていたことはあるけど部活のための早起きとか学校を休んでまでの遠征試合だとか、経験がなく、興味も惹かれない人生を送ってきました。

だって暑いの寒いの嫌いじゃん?(知らんがな


大学生野球の東大チームだとか、夏の高校野球(バトルロワイヤル勝ち上がり方式)の慶應高校とか、毛色の違う感じのときに齧るくらい。

なので、今回の決勝戦は人生ではじめて録画しましたわよ。


残酷だな、と思ってしまった。

スポーツもやはりお金次第(言い方言い方)なのを強く感じてしまって。


なんですか、平日の昼間にあの大人数を繰り出せる社会的な立場の強さ、余裕。

たかだか高校生の部活の試合(言い方言い方)に大挙するええオトナの層の厚さ。

もちろん準優勝高もおそらくは全国からスポーツ推薦で能力の高い子をかき集めて競わせてるのは当然だけど、それを上回る『平日の昼間から応援に駆けつけられる人員』の多さ。

毎回毎回試合のたびに応援に詰めかける人員を遠方まで遠征させて泊め置いておける、有り余る財力。


また、優勝高の選手たちの自己肯定感の高そうなこと。

何かにつけて笑顔が溢れて、嫌味がない。

なんて爽やか!(清涼飲料水のコマーシャルみたい)

なんてやな感じでしょう!(言い方言い方)


ただ、監督や選手たちのインタビューでの

競技の多様性への言及は賛同せざるを得ない。

会場が聖地化してるにしても、時間帯や開催時期の検討はあってもいいと思うし。

先ずは勝ってみせる、というのはやはり大切なのだと思いました…。

仕事、勤めてる間は頑張りましょう、わたし!