仏教徒☆ひらまつ たくや

仏教徒☆ひらまつ たくや

私は、日蓮正宗の在家信者です。

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 正しい信心をする事でどんな悪事を働いた人でもそれが今でも進行中の人でもどれほど異性に執着する、またはしていて罪を犯し、或いは犯そうとして自分が自分を嫌に成って居る人でも正しく仏様に帰依する事で守られ、それは確実に治り犯して来た罪は大難が小難に成り守られます。
何故なら人と人、物と物、人と物の間には境界が有るからです。
それは、この宇宙の最高の存在に礼儀を尽くす事で自然に人や物に対する境界が出来るからです。
人を傷つけたり傷つけられたりするのは境界が曖昧だからです。
これは天国へ行く道と地獄へ行く道の境目でもあります。
人が人を傷つけたり傷ついたりしている内は人間の思考は無限に広がる事はありません。
広がるのは相手に対する憎悪の気持ちだけです。
憎悪の気持ちは前世からの因縁と、今世の殺し合いが無限に広がって行く無限ループです。
その最終形態が戦争です。
仏教には一念三千と云う言葉があります。
1つの思いは無限に広がると云う意味です。
宇宙も同じで境界を挟んで自分も自分以外の世界も無限に広がって行きます。
その世界観は境界によってはっきり保って居なければ人はいつか壊れてしまいます。
それには正しい仏様に帰依して御題目を唱える事でその境界は自然に身に付いて来ます。
決して無理にでは有りません。
法華経以前の教えの八正道は人の道として正しく、それを無理に身に着けようと人はしていましたが、それは不可能です。
なぜなら人には性欲が有るからです。
性欲が悪い訳ではありませんが、人が「こうしよう」と思う意思より性欲の自然の力の方が強いからです。
仏様に帰依して御題目を唱えない者にとって境界はあって無いような物です。
そしていつか異性の魅力に負けてしまい罪を作って、無限地獄のループの世界に嵌まり込んでしまう、今の人類の状況に成ります。
帰依して御題目を唱える者には、人が空気を吸うように、自然にお腹がすくように、八正道は身に付いて来ます。
人類には様々な神仏がありますが、間違った対象に帰依しても礼儀は身に付きません。
付いたとしても、一瞬で泡のように消えてしまいます。(宇宙の歴史にしてみれば)
逆に言えば真実の仏様は絶対に帰依する者を裏切りません。
何故そんな事がいとも簡単に身に付くのか?と云えば宇宙の全ては仏様の悟りで出来ているからです。

言う成れば私達は仏様の脳内とそれを取り巻く体の中で生きて居ると云う事です。
尚且つ誰の体の中にも仏性(南無妙法蓮華経)が有るから個々の責任で努力してその仏性を開いて行きなさいと御釈迦様はおっしゃっています。
 

(八正道とは正しく物事を見る目です。何が正しいのかは自分の脳が全て知っています。
それ等を諦らかにしてくれるのが御題目の力でもあります。)

正しい仏様に対する供養の仕方。現状を変えるには | 仏教徒☆ひらまつ たくや (ameblo.jp)

 

 南無妙法蓮華経