妻が亡くって二度目の月命日がきます。
亡くなった当初の悲嘆反応はやや軽くなり、時間の経過と共に否応が無しに心の傷は癒されていくのかも知れません。
ただ、妻と一緒に過ごした最後の日々は未だに鮮明な記憶となって自分の心に刻み込まれています。
その記憶は時間、場所を問わず、不意打ちのようにフラッシュバックし、わたしが彼女のためにと思って選択したことが、本当に彼女のためになっていたのか?という疑問を投げつけます。
抗がん剤治療を行っていた病院から緩和病院への転院。
雑に扱われたことから、治療をしていた病院を嫌っていた彼女の気持ちを汲んだものでしたが、本当にそれで正解だったのか?
転院せず、もとの病院で治療を継続していたら回復が見込めたのではないか?
現に転院を決めた翌日、研修医が数値が安定したようなことを言っていたではないか?
そうしたことを考え始めると、わたしが彼女を殺してしまったのではないかと罪悪感に苦しめられます。
また、緩和病院では彼女が夜中に点滴の針を外そうとし、胸腔ドレーンをも外そうとしたことがあり、何度も試みるので、看護師が自分では脱げないような入院服を着せたことがありました。
入院中、彼女はどうしてそんなことをしたのだろう、とずっと思っていたのですが、亡くなってしばらく経ったあと、ようやく分かったんです。
そう、彼女は家に帰ろうとしていたんです。
それはわたしが転院する時に涙ながらに家に帰る準備をしようね、と言ったからに他なりません。彼女は「ほんとう?」と言っていました。
きっと、転院先ではすぐに家に帰る準備をすると思っていたのでしょう。
それほどまでに家に帰りたがっていた彼女の気持ちを、わたしは彼女が最後の力を振り絞って器具を取り外そうとしている時に気づいてやれませんでした。
わたしは以前、「もう一度帰りたかった」と言って亡くなった方の言葉をブログに書きました。あまりに残念だったと。
それなのに彼女の行動の意味に気づいてあげられなかった。
外した器具を看護師が再度付け直したあと、彼女は目に涙をいっぱいにためて、わたしの顔を不満げに見ていました。
「怒ってるの?」と訊いたら、うん、と頷きました。
それがあまりに可愛らしい表情、怒り方だったので「ごめん、わかった。でもごめん、可愛いよ」と笑ってしまっていました。
おそらく、彼女は「だまされた」と思っていたでしょうに。
わたしは本当に愚か者です。
やはり家で看取ってあげるべきでした。
彼女の行動の意味に気が付いて以来、その衝撃の大きさ、あまりの罪の重さに耐えられずにいます。心が引き千切られそうです。
ごめんね、家に帰りたかったね、ごめんね。。