今まで書いたプログもなんだか微妙なものが多かったやに思いますが、今回はさらに輪をかけて微妙なことを気持ちのままに書きます。

それくらいの状況(メンタル)なんだな、と思っていただけるとありがたいです。

すみません。。

 

さて、妻との闘病生活の中で何度か繰り返した会話があります。

「10年は一緒に頑張ろうね。」

「そうしたらお互い70歳近いおじいちゃん、おばあちゃんじゃん。それなりに生きてきて人生も満足だよきっと。だからさ、僕も健康体ではないってこともあるし、二人そろって逝こうよ。」

「僕は一人で生きていくのは嫌なんだ。」


この手の会話をした時はいつも「もし、キミが先に逝ってしまったら、一年後には必ず後追いするからね。」と真顔で言っていました。

彼女は「10年はどうだろうねぇ」なんて首をかしげて、呑気に返してくれたものでした。

 

わたしは一年後に彼女と再会したい、という気持ちは変わっていません。

※1年間は妻とわたしの終活期間です。

自殺は彼女が「許さないよ....」と眉を吊り上げて怒りそうですし、そもそもそんな勇気はない小心者なので出来ません。。

もし、神様がわたしの境遇を憐れんでくれて、気持ちを汲んでくれたら実現するかも知れません。

それまでは頑張って生きていくしかないと思っています。(辛い事ではありますが。。)

 

死別の苦しみ。

これは経験した方でないと理解できないと思います。

もちろん、想像することは出来ると思いますが、想像することと経験することは全く違うのです。

わたしは冒頭の会話をしながら「もし、彼女が居なくなったら。。」と幾度となく考えました。想像するだけで恐ろしいことでした。

でも、実際に彼女が居なくなってみるとその衝撃度は計り知れないほどの大きさなんだということが分かりました。

嘘偽りなくそのストレスは人生最大。死別の苦しみは自ら死んでしまいたいくらいの苦しみなのです。

そしてそれはどのご夫婦にとってもいずれ到来する出来事で、避けられないものなのです。

 

時間薬という言葉があります。

時が経てば癒される。

死別の場合は違います。癒されません。断言します。

時間薬が本当であればじっとしているだけで回復していき、いずれ苦しみはなくなるはずです。

でも死別の苦しみは時の経過と共にむしろ強化されていくもののように感じます。

それは傷ついたものが心であり、その傷がとてつもなく大きなものだからです。

世の中には心が傷つくできごとがたくさんあります。

叱責を受けたことや喧嘩をしたこと、受験の失敗、失恋、離婚、その他いくつもいくつも。。

 

厳密に言うと、死別の場合は心が傷つく、というより、心が「欠ける」という表現の方が正しい気がしています。

「欠けた」が故に治ることはない。よって、時間薬が効かず、いつまでも苦しみが無くならない。。

 

近年の心理学では死別の苦しみは乗り越えるものではなく共存するもの、と捉えているようです。

また、悲しみは大切な故人を想うものとして残しつつ、苦しみと共存するのではなく、苦しみを感謝と懐かしい思い出に変えて共存する形を目指すことが重要だと説いているようです。

 

死別の苦しみを感謝と懐かしい思い出に変える。

 

簡単には出来ないことですし、それこそ時間をかけなければできないことだと思います。

ただ、その努力をすることは先に旅立った妻との再会、そして再会した時に彼女に「よく頑張ったね、褒めてあげるよ!」と言ってもらえる気がしています。

 

まだまだ涙に暮れる日々ですが、少しずつ足をすすめていこうと思っています。