注意:
このブログは妻が辛い闘病生活を終え、天国へと旅立ったあと、ブログ主が妻との人生を振り返る目的で書いています。
長期間にわたることから記憶違い、記載間違いなどが起こる可能性は極めて高いです。ただ、わたしたちの経験してきた歴史はまごうことなき本物です。
それをご承知のうえでお読みください。
また、わたしの妻がどういう人間であったか。皆様の心の中に少しでも印象づけていただけたら幸いです。
前回からの続き
そうしてしばらく経ったある日のこと。会社のシュレッダーで資料を裁断している彼女の周りに人がいないことを確認して、恐る恐る聞いたのです。
「ねえ、〇〇さん。彼氏っているの?」
彼女は緊張の面持ちで下を向いたまま顔をあげずに。
「います!」
敢えなく撃沈。
「そうなんだ、ありがと」とわたし。
そそくさとその場を離れたのでした。
自分のデスクに戻ったもののいたたまれずトイレに引きこもりました。
因みに、シュレッダー告白(笑)する前に、彼女と一緒にいたくて、なにかと用事を作っては話しかけていたわたし。
「なんでそれ私に聞くの?」ときょとんとした顔でわたしを見る彼女。
しつこく話しかけていたので、彼女はわたしが自分に好意をもっていることを分かっていたハズです。
なのでシュレッダーでの告白は彼女にとって想定内だったのでしょう。
間髪入れず返事が返ってきたのでした。。
その後、オフィス内でばったり出くわすたびに、違うルートを通って顔を合わせないようにする彼女。
わたしもそれまでしつこく話かけていたのに、急に話しかけなくなったので、彼女は外協さんの女性陣に「なんかsitorehamさん急にわたしを無視するんだけど」とこぼしていたそうです。
わたしに対しても「何か無視してます?」と言ってきたので「いや、別にそんなことないけど」とすっとぼけていました。
ホントは話しかけられて嬉しかったのに。
因みに、わたしが我慢できたのも2週間ぐらい(だったハズ)。
彼女のことをずっと目で追い、収納棚の前で急ぎ資料を探している彼女が「えーん、見つからないよー、ジタ、ジタ」と言いながら地団太踏んでいる後ろ姿(あの可愛らしさを表現できない)を見て、「ちくしょう、むちゃ可愛い」と悶々としていた日々。
そうした日々はわたしに「ぜったい諦められない!」という強い決意をもたらしたのでした。
夏の恐竜博から秋になり、そして冬を迎えたある日。
サンリオビューロランドが開園しました。
1990年12月7日、金曜日のことです。
当時、新宿の大東京火災新宿ビル(現 あいおいニッセイ同和損保新宿ビル)の10階でわたし達は仕事をしていました。
彼女には数日前から、サンリオが屋内型のテーマパークを作ったんだよ、今週の金曜日に一緒に行かない?と声をかけていました。
どうしようかなぁ、という彼女を必死で説得し、会社終わりに、その足で二人で新宿から京王線に乗って、京王多摩センター駅に向かったのでした。
多摩センター駅に降り立ち、数分かけてランドに向かいました。
途中で写真が撮りたくなり、歩いている方に二人の写真を撮ってもらった記憶があります。
ただ、その写真は失われて手元にありません。無念です。
ランドに入場できたのは19時近かったと記憶していますが、混雑ぶりはそうでもなかたと思います。
ただ、いかんせんサンリオ。かつ屋内。アトラクションの規模も限定的でしたから、いまいちだなぁ、と彼女と感想を言い合ったのを覚えています。
パレードも、うーんしょぼい。。
彼女は黄色の小さな手提げかばんを持ち、自分で編んだ赤いセーターを着て、ショールを羽織り、その上から革のコートを着ていました。
園内で佇む彼女の写真を撮ったのですがこれも現在では失われたままです。(必死に探してはいます)
園内の飲食スペースで、正面に座った彼女の写真を撮りました。
一枚はちょっと首をかしげてわたしを見つめている姿。もう一枚はやはりわたしを見て満面の笑顔をしている彼女。
どちらも現存している写真です。(日付は開園日)
今は引き延ばしてわたしの部屋の壁を飾っています。
それはそれはもうキュート(死語?)で、24歳当時の彼女の輝きが詰まっている写真です。
平成二年(1990年)当時の、これからまさに全盛期を迎えようとするする女性の姿でありました。
わたしは、この日を境に絶対彼女を幸せにすると誓ったのでした。
さて、みなさん。忘れてはならないこと。
そう、彼女はわたしとサンリオに行きましたが、まだ付き合っていたわけではないのでした。
ここからわたしの怒涛の攻勢?が始まるのです。
続きます。