著書「地獄の法」から、
「人類の生存を不可能にする出来事」を探っています。
危機的な状況を起こして、その体制を崩壊させるということです。
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武田邦彦先生には、日本を没落させた元凶についての様々な言及があります。
動画で毎日、数多く発信されています。
報道機関としては、NHKと朝日新聞をその代表としてあげて、その罪を追求されています。
それに対して、
「武田邦彦先生のNHK、朝日新聞批判は間違っている。NHKも朝日新聞も正しい報道機関である。」
といった風な言論に接したことがないので、
関心ある人々のだれもが(武田邦彦先生が正しいと)認めているのでしょう。
なので、
NHKも朝日新聞も報道機関としては正しい報道をしていない、という共通の認識か日本国にはある、
と言えそうです。
もちろん、関心ある人々に限定した上でのお話しです。
そんなことには無関心な大多数の日本人について言えば、そんなことはどうでもいいお話しなのでしょう。
NHKや朝日新聞の報道の内容がどうなっているのかよりも、
オータニがホームランを打ったかどうか、や、芸能人のスキャンダルの方が関心事なのでしょう。
一方、
大川総裁が最近(といっても3〜4年くらい前ですが、)明らかにされた事実があります。
それを知ると、
NHKも朝日新聞も、報道機関として間違った報道をしたと言う認識を持っているわけではない。
むしろ、
非は、
NHKや朝日新聞は正しい報道をすると思っている国民側にあるのではないか!?
あるいは、
そう思わせた連中(DS)が悪賢こかった、
国民としては、そこに早く気がつくべきだった!
そんな風に、私は考えるに至りました。
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説明します。
田原総一朗氏の代表的な番組、「サンデープロジェクト」に、大川総裁が出演されたのは、1991年でした。
まだ、ネットなどない時代でした。
その頃私は、サンデープロジェクトはよく観ていました。
大川総裁の突然の出演に驚きながらも、画面を食い入るにように見入っていたことを覚えています。
その後、VHSのビデオを入手し何度もなんども繰り返して観ました。
(その内容についつては、後日、改めて述べてみたいと思います。)
その中では明らかとはなっていませんでしたが、
最近(3〜4年前)、
大川総裁が後日談として、
司会の田原総一朗氏との収録前後の様子(楽屋話)をお話ししてくださいました。
その際の田原総一朗氏のマスコミ論が、私にとっての大きなヒントとなりました。
それは、
・マスコミ(TV局)にはニュース(物事)の善悪の判断はできない。
・善悪の判断ができないままに、大量の情報をぶつけてくるのがマスコミと言うもの。
・そのぶつけてきた情報に対して、打ち返すことができるとマスコミも認めてくれる。
・打ち返すことができないと、打ち返すことができなかったという事実がそのまま通ってしまう。
・マスコミが流す情報の一つひとつに善悪の判断を求めても、まあそれは無理というものだ。
・それがマスコミと言うものだ。
微かな記憶をたどると、まあ、概してそのような内容でした。
ここで肝心なことは、
マスコミ(TV局)は善悪の判断ができないままに発信している
というところです。
善悪の判断ができないままに、日々の大量の情報をそのまま流す、わけです。
これは、1991年の時点でのお話しです。
いま、2024年となり、当時よりもさらに、劣化、悪化しているのがマスコミてす。
その後、
善悪の判断ができないのはそのままで、
スポンサーの意向に沿った形での判断が、固定化したようです。
つまり、
・スポンサーが嫌がる情報は流さない。
・スポンサーが好む情報を流す。
そのように変質したようです。
マスコミにとっては、スポンサーが神仏であり、善悪の判断の基準
となってしまったわけです。
(NHKにとっては、総務省や国会議員、あるいは
電通等の圧力団体(DS)がスポンサーに代わるものなのでしょうか)
庶民としては、マスコミの不正義さに文句を言うのは当然でしょうが、
マスコミにはマスコミの正義があった、
そして、その正義はDSであった、
ということなのでしょう。
「マスコミ人の80~90%は、死後地獄に堕ちる。(大川総裁)」
はずですね。