目標を立てて努力し、

 

日々の進歩を確認できる喜びは確かにあります。

 

 

その目標が達成できた時の喜びは、当事者でないと味わえないでしょう。

 

 

それは小さなものであっても大きいものであっても、当事者でないとなかなかわかるものではありません。

 

 

大きいから喜びであり、小さいから喜びではない、ということもありません。

 

 

大小を問わず、喜びは喜びなのです。

 

 

その繰り返しにより、人間の成長と言うものがあるのでしょう。

 

 

50年以上もの社会人生活を経て、

 

その喜びを求めるとき、

 

 

おそらく多くの人は、

 

 

自分自身が歩んだ歴史を振り返りながら、

 

自分自身を離れて、

 

人生の場面で出会った人々との関わり合いに心を遊ばせながら、

 

あの時こうすればよかった、

 

そこに気が付かなくて申し訳ないことをした、

 

などと、

 

 

人生の途上で出会った人々の安寧を願うような心境になっているのが、本当のところなのでしょう。

 

 

定年を過ぎて安定した収入が望めなくなった場合には、そんな余裕などとは無縁なのかもしれませんが、

 

まあ、

 

若いころほどは食も進まないし、

 

子供たちももう手を離れているのです。

 

 

年金と、

 

少しばかりの何らかの収入があれば、

 

何とかやっていけるのが日本の良いところなのでしょうか。

 

 

 

ところが、

 

特定の地位についている人の場合、そんな心の余裕とは無縁なようです。

 

 

昨日の記事の権力者を目指していたり、

 

あるいは、

 

その地位を守ろうとしていた場合には、

 

他人の安寧を願うのではなくて、

 

自分の歴史の改ざんを護ろうとしているようです。

 

 

地位についていればいるほど、

 

見苦しい姿をさらし出す結果となるようです。

 

 

そんな人々こそが、

 

自分自身では気が付いていないのでしょうが、

 

転生輪廻の仕組みを壊そうとしている人々なのでしょう。

 

 

東京都知事選の告示を前に行われた共同記者会見の冒頭、手を合わせる(左から)石丸伸二氏、小池百合子氏、蓮舫氏、田母神俊雄氏=19日午後、東京都千代田区の日本記者クラブ

 

 

3人の内の2人はまだ若いのです。

 

 

誰か教えてあげてくれませんかね!

 

 

(田母神氏は、そのあたりの理解があるように思えます。孫子のために災害に強い東京都を作りたいようです。)