新興宗教を勧められて、人はどんな反応を示すのか?
30年以上も前のお話しです。
今だったら、
(○一○会の事件の記憶が残っているので、)
警戒されるのが当たり前でしょうか!?
当時は、麻原○晃のオウム教事件の数年前です。
危険なものとの認識ではなくて、
・束縛されそうとか、
・お金がかかりそうとか、
・人から変な目で見られそう、
などといった意識が、無意識のうちに働いていたのかもしれません。
家族とその周辺の人々以外は、まあ、そんな風な反応だったように思います。
なかなか拡がらない状態に、少しばかりのイライラがあったような気もします。
そんな私でしたか、「上根・中根・下根」のお話しを聞いて、
納得したのでしょう。
スッキリとした気分になりました。
「ああ、そうだったのか!」
「誰が悪いわけでもないのだ!」
「世の中は、そんなものなのだ!」
と、
変に納得してしまいました。
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「上根・中根・下根」について、わかりやすく説明してあります。
下記をご覧ください。(gooブログより)
●人間の魂には、「上根」・「中根」・「下根」というものがあります。
「上根」・「中根」・「下根」
人間の魂には、残念ながら、「上根」・「中根」・「下根」というものがあります。
上根の方とは、わりに簡単なきっかけで、真理がサーッと心に入ってくる方です。一つのちょっとしたこと、たとえば、一冊の本、講演会の一言、あるいは他の人の導きかけ、こうしたことで、真理の縁に触れて、心が、その窓を開き、サーッと光を感じる方は上根です。
こうした方々は、今世だけで、そうした境地に達しうるのではなく、必ず、過去、幾転生のなかで、真理の縁に触れて、学んできた人たちなのです。
中根の人とは、上根の方と比べれば、時間がかかりますが、じっくりと納得するまで学び、理論的にも、自分の腑に落ちるような理解ができたら、「これは、正しいものだ」と、信ずるような方です。こうした方々も、世の中にはいらっしゃいます。
「幸福の科学」の本を読んでも、二、三年かかって、やっと、ある時点で納得されて、入ってくださるような方、あるいは、何度も何度も、私や講師の話を聴くうちに、少しずつ、少しずつ、疑問が氷解し、いつかの時点で、納得がいく、こうした方が、中根の方です。
下根の方も、残念ながら、いらっしゃいます。それは、頭から、真理を信じようとしない人たちです。
仏、神、と言えば、「見たこともないものを、どうして、信じられるか」、まず、こういう反応をします。
宗教や道徳と言うと、「そんなくだらないものを、何で、大事にするのか」「そんなことより、今日の飲み食いのことを考えるほうが先だ」という方です。
人に対する「愛」という言葉を聞くと、「それは、偽善である」、と言われます。「正義」という言葉を聞くと、「正義という名のもとに、いったい、どれだけ戦争があったか。正義など、わからぬものだ」、と言われます。
こうした人たちは、積極的に、世の中を良くしていこうと考えている人が、ほんとうにいる、ということが、まず信じられないのです。
信じられない理由は、自分自身が、そういうことに反発する性格を持っているからです。
下根の方は、魂において、過去、宗教に縁のなかった方であることが多いのも事実ですが、もう一つ、そのように、光を拒絶する人たちは、ある意味において、悪霊と言われるものの影響を受けていることが非常に多いのです。
悪霊は、そうした、暗いところに憑依して、その人に、光が入るのを、必死になって、妨げようと、一生懸命になっていることが多いのです。
参考文献・「ダイナマイト思考」幸福の科学出版参考文献・「ダイナマイト思考」幸福の科学出版
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新しい疑問が出てきて、それを解決する。
次の疑問が出てきて、それを解決する。
解決できたら、また、次の疑問が・・。
大川総裁の仏法真理は、そんなサイクルの連続でした。
仏法真理を学ぶことは、私にとっては、そんな宝の山に分け入って行くことなのでした。
そしてわかったこと。
それは、
それまで「宝物」と思い込んでいたものが実は「ガラクタ」でした。
「ガラクタとまではいかないものの、まあ、普通のもの」と思っていたものが、本当は「宝物」でした。
価値観が、180度変わってしまいました。
それは、
「不思議な世界に迷い込んたアリス」
の心境でした。
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30年後の今だから言えます。
「DSは、この世界を作るために、どれだけの時間と費用をかけたのだろうか!?」
「仏陀再誕には、仏陀再誕の理由があるわけです。」