新興宗教を勧められて、人はどんな反応を示すのか?

 

30年以上も前のお話しです。

 

 

今だったら、

 

(○一○会の事件の記憶が残っているので、)

 

警戒されるのが当たり前でしょうか!?

 

 

当時は、麻原○晃のオウム教事件の数年前です。

 

 

危険なものとの認識ではなくて、

 

・束縛されそうとか、

・お金がかかりそうとか、

・人から変な目で見られそう、

 

などといった意識が、無意識のうちに働いていたのかもしれません。

 

 

家族とその周辺の人々以外は、まあ、そんな風な反応だったように思います。

 

 

なかなか拡がらない状態に、少しばかりのイライラがあったような気もします。

 

 

そんな私でしたか、「上根・中根・下根」のお話しを聞いて、

 

納得したのでしょう。

 

スッキリとした気分になりました。

 

 

「ああ、そうだったのか!」 

 

「誰が悪いわけでもないのだ!」

 

「世の中は、そんなものなのだ!」

 

と、

 

変に納得してしまいました。

 

 

 

         ・

 

 

 

「上根・中根・下根」について、わかりやすく説明してあります。

 

下記をご覧ください。(gooブログより)

 

●人間の魂には、「上根」・「中根」・「下根」というものがあります。

2015年06月19日 | 仏法真理



「上根」・「中根」・「下根」

 

人間の魂には、残念ながら、「上根」・「中根」・「下根」というものがあります。

上根の方とは、わりに簡単なきっかけで、真理がサーッと心に入ってくる方です。一つのちょっとしたこと、たとえば、一冊の本、講演会の一言、あるいは他の人の導きかけ、こうしたことで、真理の縁に触れて、心が、その窓を開き、サーッと光を感じる方は上根です。

こうした方々は、今世だけで、そうした境地に達しうるのではなく、必ず、過去、幾転生のなかで、真理の縁に触れて、学んできた人たちなのです。

中根の人とは、上根の方と比べれば、時間がかかりますが、じっくりと納得するまで学び、理論的にも、自分の腑に落ちるような理解ができたら、「これは、正しいものだ」と、信ずるような方です。こうした方々も、世の中にはいらっしゃいます。

「幸福の科学」の本を読んでも、二、三年かかって、やっと、ある時点で納得されて、入ってくださるような方、あるいは、何度も何度も、私や講師の話を聴くうちに、少しずつ、少しずつ、疑問が氷解し、いつかの時点で、納得がいく、こうした方が、中根の方です。

下根の方も、残念ながら、いらっしゃいます。それは、頭から、真理を信じようとしない人たちです。

仏、神、と言えば、「見たこともないものを、どうして、信じられるか」、まず、こういう反応をします。

宗教や道徳と言うと、「そんなくだらないものを、何で、大事にするのか」「そんなことより、今日の飲み食いのことを考えるほうが先だ」という方です。

人に対する「愛」という言葉を聞くと、「それは、偽善である」、と言われます。「正義」という言葉を聞くと、「正義という名のもとに、いったい、どれだけ戦争があったか。正義など、わからぬものだ」、と言われます。

こうした人たちは、積極的に、世の中を良くしていこうと考えている人が、ほんとうにいる、ということが、まず信じられないのです。

信じられない理由は、自分自身が、そういうことに反発する性格を持っているからです。

下根の方は、魂において、過去、宗教に縁のなかった方であることが多いのも事実ですが、もう一つ、そのように、光を拒絶する人たちは、ある意味において、悪霊と言われるものの影響を受けていることが非常に多いのです。

悪霊は、そうした、暗いところに憑依して、その人に、光が入るのを、必死になって、妨げようと、一生懸命になっていることが多いのです。


参考文献・「ダイナマイト思考」幸福の科学出版
参考文献・「ダイナマイト思考」幸福の科学出版

        ・

 

 

新しい疑問が出てきて、それを解決する。

 

次の疑問が出てきて、それを解決する。

 

解決できたら、また、次の疑問が・・。

 

 

大川総裁の仏法真理は、そんなサイクルの連続でした。

 

 

仏法真理を学ぶことは、私にとっては、そんな宝の山に分け入って行くことなのでした。

 

 

そしてわかったこと。

 

それは、

 

それまで「宝物」と思い込んでいたものが実は「ガラクタ」でした。

 

「ガラクタとまではいかないものの、まあ、普通のもの」と思っていたものが、本当は「宝物」でした。

 

 

価値観が、180度変わってしまいました。

 

 

それは、

 

「不思議な世界に迷い込んたアリス」

 

の心境でした。

 

 

         ・

 

 

30年後の今だから言えます。

 

 

「DSは、この世界を作るために、どれだけの時間と費用をかけたのだろうか!?」

 

 

「仏陀再誕には、仏陀再誕の理由があるわけです。」