実質社長業を30年もやっていると、普通ではできないような、多くの体験を積むことができます。
良かったこと、良くなかったこと、
その時々で判断していたはずですが、齢70も半ばが近くなると、微妙に感覚のずれが生じてしまったような気がします。
当時、
「良い」と判断したことが、
いまでは、
「良くない」になったり、
「良くない」と判断したことが、いまでは「良い」なったりしています。
その分かれ目はどこにあるのか?
わかりやすく言えば、
当時は、
自分自身にとって利益になるので「良い」と判断したが、結果として相手側の不利益になった場合には、
今では、
「良くない」となってしまった、
ということですね。
「良い」と判断したが、相手は損害を出し、結果として相手を苦しめてしまった。
自分自身の損害を怖がって「良い」と判断したが、「良くない」と判断すべきだった。
まあ、
若くてできるものではありませんが、いまだとそんな風に思います。
微妙な感覚のずれというよりも、経験値を積み上げた成果なのかもしれません。
・
若い時代なのです。
若い誰もが利益を追求して仕事します。
たくさん利益をあげた人が、称賛され、出世します。
そんな中で生きていたのです。
それが、身体中に染み込んでいます。
利益をあげ出世するのはかまわないが、その裏で、泣いている人がいないか?
自分が泣かせているのではないか?
ということです。
仏法真理を深く学ぶと、そんな深淵なところまで入り込んだりすることになったりします。
参政党のゴタゴタを思っていたら、こんな記事になりました。