言ってもいっても分からない人は、多いでしょう。
言ってすぐに理解してもらえば、この世は何と素晴らしい世界なんだろう、
と、
生きる喜びがすぐに湧きそうです。
言った方は、理解してくれる人がいたと喜べるし、
言われて理解できた方は、新しい発見ができた喜びに浸れるでしょう。
ところが、
現実は、そんなケースは、ごくまれな扱いとなりそうです。
自分自身のことを思い出してみても、
「なかなか、難しいだろうな!?」
と、納得してしまいます。
そんなに素直になれる日は、そう多くはなかった記憶があるからです。
たまたま素直になれる日があって、ちょうどそんな瞬間に言っていただけるなんて、
まあ、奇跡的な出来事のようにも思えるからです。
逆に言えば、
それがわかっているので、我慢強く時間を耐えれるし、
そんな相手が理解できるので、辛抱できるのかもしれません。
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ポルポトの時代にカンボジアに生まれ、知識人であったために〇されてしまった人が、
もし、
今生まれているとしたら、どんな生き方をしているのだろうか?
もしかしたら、
知識人となると〇されてしまう、とのトラウマにとらわれていて、
勉強嫌いになっていたり、
あるいは、
それでも勉強が好きな人であったならば、
今回も知識人となっていて、
権力者にすり寄る体質になっているかもしれません。
まあ、
それは考えすぎでしょうが、
武田元教授のyoutubeのおかげで、
知識人がいとも簡単に権力者に飼い殺しにされてしまう現実を知ったので、
考察してみました。
心の奥底に刻み込まれたトラウマは、他人にはなかなかわからないものなのでしょう。
このトラウマが集積し、「魂の傾向性」となったならば、
それは厄介な存在です。
仏陀再誕の時代は、その「魂の傾向性」を修復できる時代でもあります。
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4回連続した「知は力なり」シリーズは、
「あらべすく」さんからいただいたコメントにより、記事とさせていただきました。
返答になったかどうか、わかりませんが、色々と考えるヒントをいただいたことに感謝申し上げます。
因みに、いただいたコメントは、「悲しいけど、知識には親和性はなかったのかな・・」でした。
仏陀再誕の時代は、知識に親和性がある自分になるチャンスでもあります。