世の中に、絶対に負けない方法は、あるのか?
・こうすれば、勝つ確率が上がる・・
・こうすれば、まず負けることはない(だろう)・・
そんな方法はありそうですが、
さて、絶対に負けない方法というものは、あるのでしょうか?
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ありそうにも思えます。
まず、その勝負に参加しなければ、負けることはありません。
でも、
おぎゃあー、と生まれて生きていることが、すなわち、勝負に参加していることだとしたら、
参加しない、といった選択肢はありません。
生きている、生活している、ということは、何かを生み出し、何かを選択し、何かを消費しているということです。
すなわち、
ある意味では、
「人生という土俵で勝負している、」ということになります。
毎日、何かを選択している限り、
その選択の結果は、必ず出てきます。
良い選択だったのか?
良くない選択だったのか?
あとでわかるでしょう。
そして、人生のトータルでの結果は、
その勝敗は、
永遠の故郷に魂が還るときに、判定されることになります。
つまり、
選択した結果何を得たか、
が、
重要であり、
魂の故郷での判定につながるわけです。
選択しなかった(何もしなかった)としたら、
魂の故郷でも、判定に困るでしょう。
何もしなかったので、判定できない。
「もう一度、やり直しておいで!」
なんてことになるのでは、ないでしょうかね。
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生きていて、
生活していて、
何かを選択している限り、
人生という土俵で、勝負している、ことになります。
・
仏法真理では、「良い選択をすれば良い結果を得ることができる。」と、説きます。
「悪い選択をすれば、悪い結果として現れる。」と、説きます。
一方、
ユダヤは、「選択しないで両方に賭けると、絶対に負けない。」と、説くようです。
与党にも、野党のふりが上手な与党(表面上は野党)にも、その両方に魔の手を伸ばします。
ユダヤ方式だと、選択肢がありません。
両方に賭けているので、どちらのほうがよりうまく行くのか、が、わかりません。
当事者ではなくなるので、真剣さに欠けることとなり、真実がつかめないでしょう。
ユダヤ方式だと、
魂の故郷での判定ができないので、何度も頻繁に肉体生活を繰り返さないといけないような気がします。
この世の価値観に、とらわれすぎているのでしょう。