神仏にもいろいろあります。

 

日本神道が言う「八百万神」は、主として自然に宿る神を言います。

 

 

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世界大百科事典内の八百万神の言及

【多神教】より

 

…一神教が砂漠の宗教であるのに対して多神教は農耕社会に多くみられ,配偶神や親子神のように地上的・現世的な性格を多分にもっている。

日本の記紀神話にあらわれる八百万神(やおよろずのかみ)の世界も多神教の一種であるが,その神々は古代ギリシアの宗教やインドのヒンドゥー教における多神教とは異なって,肉体的な特徴や個性をもたず,目にみえない存在であった。

 

また日本の神話には世界を創造する造化の神や自然神が登場するが,その多くは祖先神(または氏神)であって,山や森などのある特定の場所に鎮(しず)まり,個性や機能を強くは主張しない存在とされてきた。…

 

 

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山の神、海の神、森の神、と言った神々であって、

 

外国の神々(人格をもった神々)とは違った感覚のものですね。

 

 

私が言っている神仏とは、

 

人格を持った存在であって、

 

人類を大切に思い、

 

人類の行く末を見守っている高貴な存在です。

 

 

 

 

「般若の智慧」と言って、

 

(通常の)人間では到達できない最高度の智慧を持つ存在のことです。

 

 

 

 

 

唯物無神論教育で育つと、

 

「神仏」との文字を見かけるだけで、

 

あるいは、

 

「神仏」との発声を聞くだけで、

 

否定したり、あるいは、及び腰となってしまうのでしょうが、

 

それは、「知らない事の罪」を侵していることになります。

 

 

 

実は、

 

これはとても重い罪なんですね。

 

そして、その侵した罪から逃れる事は誰もできません。

 

 

特に、

 

積極的に神仏を否定している方は、ご注意を!

 

 

あと、何十年か後には、その罪を償うこととなります。

 

(脅しているわけではありません。真実を述べているだけです。)