①国防に無関心だった
②思想の統一(挙国一致)ができなかった
この二つをカルタゴ滅亡の背景としていましたが、そのもっと奥にあるものを考えてみたいと思います。
およそ国家の滅亡と言った大事件となると、その国の人々はどのような信仰を持っていたのか?
という事が重要な問題となります。
国家国民が間違った信仰を持ってしまうと、独りよがりとなり、周辺国に対する接し方が狂ってくるからです。
中国共産党などはその極みですね。
共産主義という信仰、無神論という信仰に侵されているがために、時代錯誤な覇権主義に捉われているわけです。
さて、カルタゴの場合は?
(以下WIKIより)
宗教[編集]
カルタゴでは、フェニキアから伝わったバアル崇拝やアスタルト崇拝と旧来の土着信仰に由来するタニト崇拝とが融合し、独自の宗教形態を作り出していた。
これにエジプトの神々やギリシャのデメテル崇拝が加わり、ますます多様化していった。
この宗教形態はカルタゴがローマ支配下に置かれた後も引き継がれ、ローマの神々と共に信仰の対象とされた。ウマイヤ朝によってイスラム教が伝えられると急速に廃れていった。
バアル信仰
歴史[編集]
メソポタミア北部からシリア、パレスチナにかけて信仰されていた天候神アダドは、ウガリットではバアルと同一視されていた[3]。
アダドはシリアではハダド、カナンではハッドゥと呼ばれ[3]、バアルとハダドはたびたび関連づけられていた[4]。
バアルは本来、カナン人の高位の神だったが、その信仰は周辺に広まり、旧約聖書の「列王記」上などにもその名がある。
また、ヒクソスによるエジプト第15王朝・エジプト第16王朝ではエジプト神話にも取り入れられ同じ嵐の神のセトと同一視された。
フェニキアやその植民地カルタゴの最高神バアル・ハンモンをモレクと結びつける説もある。
さらにギリシアでもバアル(古代ギリシア語: Βάαλ)の名で崇められた。
足を前後に開き右手を挙げている独特のポーズで表されることが多い[要出典]。
ウガリット神話におけるバアル[編集]
またダゴンの子バアル(b‘l bn dgn)とも呼ばれる[2]。
勝利の女神アナトの兄にして夫。聖書などではアスタルトを妻とする解釈もある[5]。
彫像などでは、棍棒と槍(稲妻の象徴)とを握る戦士の姿で表される[2]。
古代オリエント世界では一般的に嵐の神とみなされていたが、乾燥している地域では農業に携わる人々から豊穣神として崇められた。海神ヤム(ヤム・ナハル)や死の神モートは兄弟でありながら敵対者である[5]。
ヤムとの戦いは彼が荒々しい自然界の水を征する利水・治水の神であることを象徴し、モートとの戦いは彼が慈雨によって実りをもたらし、命を養う糧を与える神であることを象徴する。
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このバアル信仰というものが曲者ですね。
祟り神のようでもあるし、物質万能主義・拝金主義的悪魔でもあるように思えますね。
物質万能主義、拝金主義に陥ってしまうと、目くらましにあったようで、周辺がまったく見えなくなります。
己の利益、物質的利益のみを追求するのが当たり前の世界に埋没してしまいます。
貿易相手国の利益などは、はるか彼方に追いやられてしまい、己の栄華のみを追及するようになります。
相手国との関係が、WIN-LOSE の関係となっても、気がつきません。知らん振りです。
滅亡への道をまっしぐら・・・
となり、気がついた時は手遅れ・・・。
どこかの国の現状とよく似ているようにも思えますね。
高級官僚は、省益を国益に優先させるし・・・、
己が天下り先確保のために、補助金をばら撒くし・・・、
その補助金確保のために増税するし・・・。
国会の審議のない特別会計等で裏金を溜め込み、自由采配するし・・・。
今の日本・・、
ハンニバルが、100人くらい必要なのかもしれませんね。
100人いれば、大きな勢力となれるでしょう。
工作員に、官僚の圧力に、あるいはマスゴミに勝てるのではないでしょうかね。
次の選挙では、ハンニバルを100人選出しないといけませんね。