昨日の記事を書いていて、やはり竹原元市長について触れないといけないな、と思いました。

 

仙波敏郎氏は、警察官退職後、阿久根市の副市長に就任しているんですね。

 

 

 

 

(以下、WIKIより)

経歴[編集]

1977年鹿児島県立出水高等学校を卒業。総理府防衛庁入庁(防衛大学校入校)、1983年卒業(第27期。同期に佐藤正久)。

 

航空自衛隊に幹部候補生として任官するも、1988年二等空尉で退官。

 

帰郷して株式会社三笠興産(親の経営する建設会社、現在は廃業)に就職する。一時期、同社代表取締役を務めた。

 

2005年、阿久根市議会議員選挙に出馬し、初当選[1]

 

阿久根市長時代[編集]

2008年8月31日、阿久根市議会議員を辞職して、阿久根市長選挙に立候補し、初当選。

 

2009年2月6日、阿久根市議会が市長不信任決議案を全会一致で可決し、同月10日、竹原は市議会を解散した。

 

2009年4月17日、出直し市議会議員選挙後初めての市議会臨時会において、再び市長不信任決議案が提出され、賛成11、反対5の賛成多数で可決し、失職した。

 

これに伴い、同年5月31日に投開票が行われた出直し市長選挙に出馬し、再選を果たす[2]

 

2010年には、阿久根市で養鶏業を営む西平良将ら、「反竹原」を掲げる市民グループにより市長解職請求が行われ、2010年12月5日に投開票が行われた解職の是非を問う住民投票において、解職賛成票が過半数を占めたため、市長を再度失職[3]

 

復職を狙い、2011年1月16日執行の出直し市長選挙に立候補したが、約850票差で西平良将に敗北した。

 

ブログでの発言が反響を呼んだことから、ブログ市長とも呼ばれた。

 

 

私が知っていたのは、

 

・お役人の給与が高すぎる。

 

・民間の、2倍も3倍もある。

 

・これでは、少ない稼ぎから納税している地域住民が可愛そうだ。

 

として、

 

市役所職員の年収を張り紙にして公開した事がニュースになったからです。

 

 

そして、

公務員の給与の引き下げを断行しました。

 

まず、市長自身の給与を大幅に下げましたね。

 

 

以下、わかりやすい記事がありましたので、紹介させていただきます。

 

 

<阿久根で起きたこと>

 理不尽な阿久根市政に対する憤りが私を突き動かしてきました。

激しい憤りが私を市長にしたと言っても良い、「政治家と役人は住民のために仕事をしていない」確信がありました。

 

私は市長として、持てる限りの権限を使って改革を進めました。

 

議員の多数は反発しました。

 

議会は私が提案した市長自身の給与半減、市長ボーナスゼロに反対したのをはじめ、手数料値下げ、減税などあらゆる住民のための政策を妨害しました。

 

法治国家では違法でなければ合法、これが基本です。

 

にもかかわらず記者クラブ報道を先頭に、総務大臣や鹿児島県知事までが、やったことにはほとんど触れず、「やり方には"イホウセイ"がある」などと法治国家にあるまじきセリフを掲げてキャンペーンを展開しました。

 

そもそも阿久根市民はやり方ではなく、住民のための自治がないことで不遇な暮らしを強いられているのです。

 

 

やはり、既存の組織が連携して改革派竹原市長を潰そうとしたわけですね。

 

竹原市長は、住民が真実を知れば応援してくれると考えたのでしょうが、

それも既存組織の切り崩しにあい、あえなく沈没してしまったようです。