予期せぬ出来事に翻弄されたかに思えた衆院選でしたが、結果としては安倍総理の思惑通りのものとなりましたね。

 

小池新党立ち上げの頃には100議席超の予測もあったのに、「安倍よりも右」を脅威に感じた大手マスゴミの誘導(?)による小池潰しが奏功し、

枝野極左新党が野党第一党となりました。

 

 

 

 

リベラルと名乗ってはいますが、前歴からするに極左であると思った方が正解に近いのではないでしょうかね。

 

 

 

 

元革マル派の総本山であったJR東労組からの献金問題を国会で追及された前歴は、隠しようがありません。

 

JR総連とは弁護士時代からの付き合いだったようです。

 

民主党幹事長として政権を担っていた暗黒の時代の恐さを思い出すと、顔も見たくないといった方が多いのかもしれません。

 

 

 

ところが・・、

 

(以下、WIKIより)

 

政策・主張[ソースを編集]

政治的思想[ソースを編集]

自身について「リベラルであり、保守である」と述べており、この2つの概念は対立しないとの見解を示している[70] 。大事にしたい「保守の伝統」としては以下を挙げている。

「和を以て(もって)尊しとなす」。まさに日本の歴史と伝統といったときに、一番古い、そして一貫している日本社会の精神です。

自由を大事にして多様な価値観を認めて、自由放任な自己責任論ではなくて、お互いに支え合うことを大事にする。これはリベラルであると同時に保守なんですよ。

— 枝野幸男、2017年10月9日 インタビューにて[70]

2017年に立憲民主党を立ち上げた際には、「国家権力が憲法によって制限されることにより、真の民主主義が成り立つ」とする立憲民主主義を掲げ、以下のように述べた。

私たちは、立憲民主党という名前を付けさせていただきました。立憲という言葉は、古めかしい、分かりにくいという意見もあります。しかし、どんな権力でも、憲法によって制約をされる、憲法によって一人ひとりの自由人権を守る。この立憲主義というのは、近代社会において、あまりにも当たり前のことだから、特に戦後70年、私たちの国では、あまり言われませんでした。残念ながらというべきかもしれません。ここ数年、立憲主義という言葉をもう一度思い出さなければならない、そんな状況になっている。それが、今の日本です。 立憲主義は、確保されなければならないというのは、明治憲法の下でさえ前提でした。少なくとも、大正デモクラシーの頃までの日本では、立憲主義は確保されていました。戦前の主要政党、時期によって色々名前若干変化しているんですが、民政党政友会という二大政党と言われていたそれぞれ、頭に「立憲」が付いていた。立憲主義は、あの戦前でさえ、ある時期まで前提だったのです。 — 枝野幸男、2017年10月3日 有楽町での演説にて[71]

また、21世紀の政治の対立軸は、左右のイデオロギー対立ではなく、上からのトップダウンか草の根からのボトムアップかであるとし、ボトムアップの政治の実現を訴えている。

数を持っているから勝手に決めていいという上からの民主主義ではなく、草の根の民主主義。強いものをより強くし、いずれあなたのところにしたたり落ちるという上からの経済政策ではなく、暮らしを押し上げて経済を良くする。[72]

右(翼)左(翼)かなんていうイデオロギーの時代じゃないんです。上からか草の根からか。これが21世紀の本当の対立軸なんです。

— 枝野幸男、2017年10月3日 有楽町での演説にて

 

 

左から右へと、振り子が大きく振れたような発言ですね。

 

 

 

 

民主党、民進党時代には、党の要職を務めました。

 

また、菅内閣時代には、官房長官として、東日本大震災・福島原発メルトダウンといった大問題とも対決しました。

 

問題の解決に取り組んだはずですが、かえって問題を大きくしたとの非難も浴びています。

 

その反省ができて、基本的な考え方が変ったのかもしれません。

 

実際に政権を運営するとなると、絵空事ではない厳しい現実に直面することとなります。

 

理想ばかりを追っかけていればよかった野党の時代とは、まったく違った諸問題に頭を悩ませることとなります。

 

 

現実を直視することにより、共産主義思想の甘さ・非現実性に気づき、幼かった自分自身とお別れしたのかもしれませんね。

 

そうであれば、結構なことです。

 

 

(本人は、むかしから何ら変っていない・・、と言うのかもしれませんが・・。)