○前回、ブログ『邪馬台国の風景』に、こう書いた。
・この話も長くなるので、これ以上は止めにしたい。それで、最後に、ブログ
『邪馬台国の風景』で締めたい。近年、佐賀県庁が大暴走して、大々的に吉野
ケ里遺跡を喧伝して止まない。それをNHKと朝日新聞がタイアップして無条件
に報道している。まさに茶番そのものである。
○このまま、この話を終了しては、邪馬台国がどんな国であり、卑弥呼がどういう人物だったか。まるで不得要領だと言われても仕方が無い。それで、『卑弥呼の肖像』と題して、邪馬台国と卑弥呼像の概略を案内することとしたい。
○まずは、邪馬台国の全貌から。「三国志」倭人条1986字の主題が倭国三十国の案内にあることを、誰もご存じ無い。主題も認識しないで倭人条を読んだところで、仕方の無い話なのに。「三国志」をものした陳壽は、次のように倭国三十国を案内してみせる。
【渡海三国】
・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
【北九州四国】
・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
【中九州二十国】
・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
【南九州三国】
・投馬国・邪馬台国・狗奴国
○もっとも、これを「三国志」から読み解くことは、至難の業なのである。その証拠に、三世紀に「三国志」が成立して以来、二十一世紀の現在に至るまで、こういうふうに倭国三十国を案内した人は、誰も居ない。
○これだけでも、驚くのに、陳壽の技は、いよいよ冴え渡る。魏国の帯方郡から邪馬台国までも、次のように案内して、読者を、驚かせる。
帯方郡⇒狗邪韓國=七千餘里
狗邪韓國⇒對馬國=千餘里
對馬國⇒一大國=千餘里
一大國⇒末盧國=千餘里
末盧國⇒伊都國=五百里
伊都國⇒奴國=百里
奴國⇒不彌國=百里
不彌國⇒投馬國=千五百余里
投馬國⇒邪馬壹國=八百余里
○何とも天晴れな表現であることに、驚く。流石、文字の国、中国で正史をものする史家の実力は尋常では無い。ただ、これを読み解くことにも、相応の実力が要求されることは、当たり前のことである。中国の専門史家であってさえ、これを読み解くことができない。
○まして、日本人など、論外である。陳壽は倭人条を読みたいなら、会稽か寧波へ出掛けて読めと教える。それが判らないようでは、まず、倭人条は読めない。それだけのことである。
○当古代文化研究所では、これまで、四回、会稽へ出掛け、寧波には八回、訪れている。もちろん、倭人条を読みたいからである。「三国志」で陳壽が説くのは、中国の伝統的倭国観に他ならない。陳壽は、何とも面倒な男なのである。
○ただ、「三国志」が読みたければ、徹頭徹尾、陳壽に従うしかない。そうすることで、陳壽の倭国観が見えて来る。実は、陳壽は、正々堂々、「三国志」に、陳壽の倭国観を記録してくれている。それなのに、誰一人、それにも、気付かない。
○それは、次のような記録である。
【原文】
雖夷狄之邦,而俎豆之象存。
中國失禮,求之四夷,猶信。
【書き下し文】
夷狄の邦と雖も、俎豆の象存す。
中國禮を失し、之を四夷に求めるは、猶ほ信なり。
【我が儘勝手な私訳】
東夷は野蛮な国だとは言っても、東夷には、ちゃんとした礼儀作法が存在する。
すでに中国が失ってしまっている礼儀作法を東夷に求める、しかしそれは本当のことだ。
○この東夷が、実は倭国なのである。中国がすでに失っている礼儀作法をいまなお、保持している国がある。それが倭国であり、邪馬台国だと陳壽が称賛している。あの自尊心の高い中国人が、このように称賛する国が倭国であり、邪馬台国なのである。
○どうして、そんなことが判るか。答えは簡単である。「三国志」が記録する東夷、七国で、評価されている国は、一つしかない。それが倭国であり、邪馬台国なのである。残りの国々の評価は散々なものとなっている。
○その邪馬台国の女王が卑弥呼である。その卑弥呼の肖像を描くことは、なかなか難しい。唯一の拠り所となる表現が、
卑弥呼事鬼道。
である。つまり、卑弥呼は宗教家であったことが判る。
○それで多くの学者先生は、何の根拠も無く、卑弥呼はシャーマンだったと説く。驚き呆れる愚説である。「三国志」を読むと判るのだが、三世紀の倭国は国際社会の只中に存在する。そういう時代がシャーマニズムなどで乗り切れると考える方がどうかしている。時代錯誤も甚だしい。
○スペースが十分に無いので、結論だけを案内すると、卑弥呼の鬼道が何であったか。それは、卑弥呼の現住所から判断できる。卑弥呼の現住所は、鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島長濱になる。当古代文化研究所では、これまで、六回、硫黄島を訪問し、そのことを確認している。
○硫黄島は、何とも、おどろおどろしい島である。小さな島なのに、700mを超える山が存在する。しかも、常時、白い噴煙を揚げている。島には三岳が存在する。
・硫黄岳(703m)
・矢筈岳(349m)
・稲村岳(236m)
○この硫黄島三岳を研究すると、吉野山に達する。それが大峰三山になる。
・大峰山(山上ケ岳:1719m)
・大天井ケ岳(1439m)
・稲村ケ岳(1726m)
○つまり、修験道の起源が、この硫黄島なのである。すなわち、日本仏教の始まりが、ここだと言うことである。判るように、卑弥呼の鬼道とは、仏教を指した。
○さらに、「古事記」や「日本書紀」を読むと、硫黄島が大山祇神の故郷であることが判る。また、出雲神の故郷もまた硫黄島である。それが卑弥呼の現住所、鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島長濱であることの意義は、大きい。
○つまり、日本の多くの神々の故郷が硫黄島であり、日本仏教の起源が硫黄島であることが、何を物語るか。当然、卑弥呼とは大山祇神であり、大物主命であり、出雲神である。そして、日本へ仏教を勧請したのが卑弥呼だと、歴史は物語っている。それが本当の日向神話である。なかなか日本の歴史は面白い。これが本当の邪馬台国であり、卑弥呼の肖像である。