○2024年6月1日から3日に掛けて、屋久島へシャクナゲ見物に出掛けて来た。今年の屋久島のシャクナゲは10年振りと言う見事さだった。ブログ『花之江河のシャクナゲ』、『投石平のシャクナゲ』、『投石岳のシャクナゲ』、『安房岳・翁岳のシャクナゲ』、『宮之浦岳・焼野のシャクナゲ』と、ブログでも紹介済みである。
○その行き帰りに、鹿児島湾をフェリーとトッピーで往復した。鹿児島湾で見た景色について、ブログ『邪馬台国三山』、『天孫降臨の世界山』、『わたつみの豊旗雲に入日射し今夜の月夜さやけかりこそ』、『天降付く天の香具山の風景』、『玉襷畝傍山』と案内して来ている。
○このように、鹿児島湾を航行することの異議は大きい。特にフェリーに乗って鹿児島湾を行くと、霧島山から桜島山、高隅山、開聞岳が手に取るように見える。その霧島山・桜島山・開聞岳が大和三山であることを誰もご存じ無い。
・うねびやま=霧島山(1700m)
・かぐやま=桜島山(1111m)
・みみなしやま=開聞岳(924m)
○当古代文化研究所ではそういうことを研究している。以前奈良県橿原市に存在する大和三山、
・畝傍山(199.2m)
・香具山(152.4m)
・耳成山(139.7m)
に登った際、ふと、正式に大和三山を眺める場所は何処で、眺める者は誰なのだろうと考えたことがある。実にくだらない話だと思われるかも知れないが、古代史を考えるうえで、非常に大事な要件なのである。
○スペースが無いので、結論だけを案内すると、大和国で、正式に大和三山を眺める場所は三輪山山頂で、眺める者は大物主大神だと言うことになる。そのことは、大和国一宮が大神神社であることとも一致する。つまり、大和国は大物主大神が領知するところであることが判る。
○このことの意味するところは大きい。日本最古の史書とされる「古事記」や「日本書紀」は大和朝廷を開いたのが神武天皇だとする。しかし、神武天皇の故郷は邪馬台国では無くて、狗奴国なのである。その証拠に、狗奴国には神代三山陵が存在する。
○今どき、神代三山陵など、ご存じ無い方も多いかも知れない。神武天皇の父・祖父・曽祖父の御陵を神代三山陵と言う。日向神話の舞台は、主にここになる。
○日向国に存在する邪馬台国には、本物の大和三山、
・うねびやま=霧島山(1700m)
・かぐやま=桜島山(1111m)
・みみなしやま=開聞岳(924m)
が存在する。当然、ここにも、本物の大和三山を眺める場所と神様がいらっしゃる。どう考えても、神様は同じで、大物主大神である。大物主大神は出雲神で、出雲神の故郷が『八雲立つ出雲』だと言うことになる。
○出雲神の故郷は、誰が考えても出雲国だと思う。それが間違いのもとである。大和地名が日向国のものであるのと同様、出雲地名も、実は日向国のものである。その証拠に、『八雲立つ出雲』の風景を出雲国に求めることは、誰にもできない。
○鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島が出雲神の故郷になる。ここでは、二十一世紀の現在でも、常時、『八雲立つ出雲』の風景を眺めることができる。それが枕詞「八雲立つ」の恐ろしさである。言葉の力は、何とも凄い。
○今回の屋久島訪問の際、行きの「フェリー屋久島2」から、硫黄島を遠望することができた。その硫黄島こそが出雲神の故郷である。当古代文化研究所では、
・2009年5月30日(土)
・2009年6月11日(木)
・2010年10月30日(土)・31日(日)
・2011年3月13日(日)から18日(金)
・2011年11月25日(金)から29日(火)
・2012年8月22日(水)
の6回、実際、硫黄島を訪問し、そのことを確認している。
○最近、豊国をいろいろと調べているうちに、気付いたことがある。それが「古事記」が記録する九州についてである。「古事記」は、九州島に、次の四つの面が存在すると言う。
筑紫国:白日別
豊国:豊日別
肥国:建日向日豊久士比泥別
熊曾国:建日別
○「古事記」の、この認識の仕方は、何とも気になる。九州島の四つの面で、何処が吸収島の中心であったか。この記録に従う限り、それは誰が考えても、「肥国:建日向日豊久士比泥別」だろう。「肥国:建日向日豊久士比泥別」の異常な突出は無視できない。
○併せて、「熊曾国:建日別」が日向国で無いことにも、留意する必要がある。この感覚で考えるなら、日向国は「肥国:建日向日豊久士比泥別」の中に含まれる。それなら、「熊曾国:建日別」が、そのまま狗奴国に合致する。後の大隅国である。
○つまり、「古事記」が記録する『肥国:建日向日豊久士比泥別』とは、北は松浦半島から南は硫黄島までを含むことが判る。当然、その中心は、「三国志」が記録する邪馬台国だと言うことになる。後の薩摩国になる。
○そういうことを「古事記」が記録していることを、改めて考えてみた。「古事記」が記録するこの記事の意義は、極めて大きい。それは、おそらく、最も古い九州島の概念だと言うことになる。その建日向日豊久士比泥別の女王が卑弥呼であることは、言うまでもない。
○ちなみに、卑弥呼の現住所が鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島長濱であることを、当古代文化研究所では、確認している。