避暑山庄:卷阿胜境 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2024年3月1日に、河北省承徳市の避暑山荘を訪れた。最初、宮殿区を見学したので、麗正門から入場した。宮殿区を一通り見学した後、湖泊区へと向かった。ここを訪れて、承徳避暑山荘が何とも広大なところであることに、驚いた。

○今日一日で、承徳避暑山荘全部を見ようとする計画が、何とも杜撰なものであることを理解した。それで、今回は取り敢えず、宮殿区を丁寧に見学し、時間の余裕があれば、湖泊区を見ることとした。

○湖泊区も、何とか、晴碧亭から芝径雲堤、冷香亭、月色江声、水心榭と見て来て、次に訪れたのが東宮遺址になる。今回、宮殿区として見て来たもののほかに、避暑山荘には、もう一つ、東宮が存在した。それが東宮遺址である。

○その東宮遺址の入り口が徳匯門になる。避暑山荘の湖泊区の入り口が徳匯門である。現地には、次の案内板が設置してあった。

      徳匯門東宮遺址

   東宮は徳匯門の内にあり、宮殿区の四つの建築の一つである。乾隆帝十九年

  (1754)に建てられた。皇帝が重要儀式を行い、臣下に面会し、政令を公布

  する場所である。中軸線の主要建築は順に門殿七間、正殿十一間、清音閣、福

  寿園、勤政殿、巻阿勝境等である。現在は土台遺跡のみが存する。

○つまり、現在、避暑山荘湖泊区の入り口となっている徳匯門から、水心榭に至るところに存在したのが徳匯門東宮遺址と言うことになる。現在の宮殿区だけでも途方もなく広いのに、それとほぼ同じ規模の建物群が、嘗て、ここには存在したと言う。驚き呆れる規模である。

○インターネット検索では、次のページがヒットした。

      避暑山庄消失的三十六景,曾经那么美!

      东宫遗址

东宫遗址位于松鹤斋东侧坡下、德汇门里,建于乾隆十九年(1754),这里有一组规模宏大、气势雄伟的建筑群,因地处正宫区的东部,故称“东宫”,并非民间传说的是东宫娘娘的住所,而是乾隆皇帝修建的举行重大庆典、接见群臣、发布政令及接见各少数民族王公、首领和外国使节时观戏、赏赐的地方。

▲图为德汇门里的七间门殿整个东宫为七进建筑格局,由南向北依次为:进德汇门迎面为门殿、前殿、后陪阁、清音阁、福寿阁、勤政殿和卷阿胜境。此处之宏伟壮观不亚于康熙修建的正宫区。 只可惜,1933年日本侵略者为了庆祝占领承德的“胜利”,一把火烧毁了卷阿胜境和勤政殿,1945年冬,又一次火灾,使整个东宫变成了废墟。现在我们看到的卷阿胜境是1979年复建的。

  避暑山庄消失的三十六景,曾经那么美!_乾隆 (sohu.com)