苏州公交40路东环线 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2023年9月12日は、蘇州の町を歩いた。朝8時の留園を皮切りに、9時30分には、胥門路脇にある「伍子胥纪念园」へ着いていた。その後、再び、姑胥桥站まで行き、次の目的地である相門を目指すこととする。

○姑胥桥站から相門までは、苏州公交40路东环线か、200路南线を利用すれば、7站で行くことができることを確認していた。ちょうど、公交40路东环线のバスが来たので、それに乗って、相門へ向かった。

○ちなみに、中国の検索エンジン、百度百科が案内する『苏州公交40路东环线』は次の通り。

      苏州公交40路东环线

   苏州公交40路东环线是一条公交线路,隶属于苏州市公共交通有限公司

  中文名:苏州公交40路东环线   车站数量:49

  起止站点:体育中心-体育中心首末站   起点首末班时间:05:00-21:30

  终点首末班时间:05:00-21:30   车票价格:2 元

  运营机构:苏州市公共交通有限公司

  苏州公交40路东环线_百度百科 (baidu.com)

○蘇州の相門は、蘇州古城八門の一つで、東門になる。百度百科が案内する相門は、次の通り。

      相门[xiāng mén]

      苏州古城门

  相门(xiàng mén )古作干将门、将门、匠门,位于江苏省苏州古城东。

  吴王阖闾曾命铸剑师干将于此设炉铸剑,故得名干将门、将门。

  《吴郡图经续记》记载:“将门者,吴王使干将于此铸宝剑,今谓之‘匠’,声之变也。

  ”因此,“将门”便又称之为“匠门”,后又讹“匠”音为相,遂称“相门”。

  相门在宋初被填塞。民国23-25年重辟,解放后被拆除。2012年再次重建。

  相门(苏州古城门)_百度百科 (baidu.com)

○今回、蘇州を訪れた理由は、巻六十六『伍子胥列伝第六』が載せる、

  而抉吾眼懸呉東門之上。以観越寇之入滅呉也。

を確認するためであった。どう考えても、「東門」では無いだろうと思ったからである。そして、胥門を訪れ、そのことを確信した。おそらく、伍子胥が眼を抉って懸けたのは、蟠門か蛇門である。

○ただ、肝心の蘇州東門である相門を見ないでは、何も言えない。それで、胥門の次に訪れたのが相門だった。現在の蘇州で、南北に連なるメインストリートは人民路である。そして、東西に連なるメインストリートが干将路である。

○干将路は、道の真ん中を干将河が貫通している。つまり、干将河は、蘇州の東西を貫く運河なのである。まさに、蘇州は水の都とされる所以でもある。そのことは、東側の南北に連なる平江路や西側の学士街でも同様である。蘇州の町には、今でも、縦横に運河が走っている。

○10時50分ころには、相門に着いていた。相門のバス停で公交40路东环线のバスを下車した。目の前に干将河が流れていた。相門のバス停から相門までは200mくらいだろうか。見えているのだけれども、急に雨が降り出して、閉口した。

○中国に、傘は持参していたが、朝、ホテルを出る時、天気が良かったので、傘は荷物の中に入れたままだった。雨脚は強い。濡れて行くのも無理だと判断した。200m先に相門跡は見えていたが、諦めるしかないかった。旅は何が起こるか判らない。用心が肝心である。