故宮博物院ー書畫家的幽默感 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2023年9月9日に、台湾故宮博物院を訪れ、3階の、『故宮博物院翠玉白菜・肉形石』、『故宮博物院:玉器精華展』、『鑑古─乾隆朝の宮廷銅器コレクション』、『故宮博物院:古金耀采』と見て来て、やっと2階へ移った。

○その2階で最初に見たのが『故宮博物院ー筆墨見真章』で、その次に見たのが『故宮博物院ー筆歌墨舞』、次に見たのが『書畫家的幽默感』である。国立故宮博物院のホームページが案内する『書畫家的幽默感』は、次の通り。

      書畫家的幽默感

「幽黙」という言葉は『楚辞』の「九章・懐沙」にある一節「眴兮杳杳、孔静幽黙。」に登場します。この「幽黙」は音もなく静まり返っていることを意味していますが、現在、使われている「幽黙」は「おもしろみがあり、意味深長なこと。」と辞書に説明があります。このような解釈は国学の大家である林語堂(1895-1976)の読解が元になっています。林語堂は英語の「humor」を「幽黙」(ユーモア)と音訳し、次のように解釈しました。「ユーモアのある人は、そのおもしろさをあからさまでなく、それとなく感じさせる。ユーモアを楽しめる人は、心の内で黙ってそれを理解し、そのおもしろみを取り立てて人に言うこともない。粗野な笑い話とは違い、ユーモアは密やかであればあるほど絶妙なものとなる。」

「幽黙感」(sense of humor)とは、ユーモアを解してそれを運用する能力のことです。鋭い観察力や想像力を生かして、その人物の機知や達観した態度を表します。リラックスして寛いだ雰囲気の中で、連想や比喩などを用いて人生経験や考え方、遊び心などのおもしろさを伝えます。ウイットに富んだ自嘲や諧謔、揶揄、風刺などは、思いがけず笑いを呼び起こします。

「書画家のユーモア展」では、歴代書画家の作品10点を例にユーモアをテーマとした展示を行います。伝世の佳作のほか、ユニークな小品をご覧いただきます。仲間同士のおふざけ、ユーモアの表現法とその特色、ユーモアによってすっかり変わってしまうイメージ、ユーモアによる教化や啓発、世の中の出来事に対する風刺など、独創的な発想や手法を用いて、それぞれ違うユーモアが作品として表現されています。

  国立故宮博物院 展示情報 > これまでの展覧 > 書画家のユーモア (npm.gov.tw)

○上記の説明は以前のものである。しかし、今回、故宮博物院212号室で見た作品は、この説明に合致するものだと判断したので、ここに紹介した。作品群をご覧いただければ、そのことが判るのではないか。

○その中で最も気に入ったのが『無款豊綏先兆図』である。故宮博物院のホームページを探したら、次のページがヒットした。

      清 無款

      豊綏先兆図

赤い長衣を着た鍾馗が4匹の鬼の上に腰を下ろし、烏帽を取ってその姿を鏡に映して眺めている。上方にコウモリが飛んでいる。画題の「豊綏先兆」は「封祟仙照」の語呂合わせである。鏡を見る鍾馗を題材とした現存作品は他に清代の高其佩(1762-1834)の「鏡中鍾馗」や方薫(18世紀末)の「鍾馗対鏡」などがある。画法は異なるが、同じく瑞祥やユーモアを表現している点から、この作品もおそらく清代の画家の手によるものと思われる。鍾馗は醜く、鏡に映る自分の醜さに驚いている。ユーモラスな構図や配置に思わず笑みがこぼれる。鍾馗に押しつぶされた4匹の鬼たちは特段恐れている様子もなく、仕方なさそうな表情を浮かべている。この点もまたユーモラスで、作者の工夫が見て取れる。

  書画家のユーモア (npm.edu.tw)