そらみつ やまと | 古代文化研究所

古代文化研究所

古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○前回、ブログ『天孫降臨の世界山が畝傍山であること』で案内したように、大和三山を最もよく案内しているのは「万葉集」である。私見によれば、「万葉集」には香具山が十四回、畝傍山が六回、耳成山が三回記録されている。

○その「万葉集」を代表する修辞が枕詞になる。当然、地名「やまと」にも枕詞が存在するのをご存じだろうか。なんと、地名「やまと」には、三つもの枕詞が存在する。そんな地名は「やまと」以外にはない。

○地名「やまと」に掛かる枕詞は、次の三つになる。

  そらみつ

  あきつしま

  しきしまの

○碩学、本居宣長に「國號考」と言う小論があって、宣長は懸命になって大和国にやまと地名起源を追い求めている。しかし、宣長が幾ら奮闘努力したところで、大和国にやまと地名起源を追い求めること自体が無理なのである。やまと地名の起源は、大和国では無いからである。

○やまと地名の起源は南九州にある。そこは、以前、日向国と呼び称していた。しかし、日向国自体が大きく変遷していて、何とも紛らわしい。後世、私たちが日向国と呼び称しているところは、日向国でも僻地であって、日向国の中心ではない。

○当時の日向国の中心は、あくまで、現在の薩摩半島南部になる。当然、やまと地名の起源はここにある。それは誰が何時見ても神々しい風景であることは間違いない。それが『そらみつ やまと』の風景である。

○ある意味、ここから陸地が始まっている。それまではわだつみなのである。その境界に立つ山を『ひらききのみみなしやま』と言う。現在は『ひらきき』部分だけが残って「開聞岳」と呼び称している。「開聞岳」とは「ひらききのやま」と言う意である。924mの高さを誇る。

○現在、「開聞岳」の麓には、「開聞岳」を斎き祀る社が存在し、枚聞神社と称する。「枚聞」は、もちろん「ひらきき」であって、神社の名は「ひらききじんじゃ」と言う。後世、それは薩摩国一宮として崇められることになる。

○耳成山と言う呼称もまた、珍妙な名である。それで、誰もが悩まされ、耳が無い山だとか、クチナシの花に連動させて、ミミナシとクチナシと語呂合わせまでして、答えを見付けようとしている。しかし、「みみなしやま」は本来境界を成す山のことであって、耳とは直接関係無い。

○『そらみつ やまと』の風景は、此処にある。したがって、「やまと」地名の起源も此処にある。だから、『そらみつ やまと』の風景を見れば、誰もが此処が「やまと」であることを実感するはずである。

○2023年10月12日に、開聞岳に登って来た。天気も良くて、最高の登山日和だった。開聞岳は924mの山である。ただ、海岸端に存在する山だから、924mをそっくりそのまま登らなくてはならない。結構、厳しい登山である。普通、登り3時間、下り2時間と言われる。

○もちろん、74歳の老人には、それはできない。登り4時間、下り3時間と思ったが良い。そういう苦労をしてまで登るべき山が開聞岳である。それも、開聞岳に登るのに、最高の時期がこの季節なのである。それは開聞岳山頂直下で見ることができる。

○それが開聞岳のホトトギスである。こんな見事な花は無い。それが開聞岳では山頂直下だけに咲いている。したがって、開聞岳へ登らない限り、開聞岳のホトトギスを見ることはできない。何とも罪な花なのである。

○閑話休題、『そらみつ やまと』の風景は、開聞岳で見ることはできない。鹿児島県枕崎市に「耳取峠」と言う峠があって、ここから見ると『そらみつ やまと』の風景を拝むことができる。それも時間限定で、日の出の時と決まっている。

○もう一カ所、枕崎市火之神岬から見る『そらみつ やまと』の風景も素晴らしい。それがどんな風景であるかは、写真をご覧いただくしかない。これが『そらみつ やまと』の風景なのである。