吉野ケ里遺跡「謎エリア」調査の虚妄 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○今日、2023年7月26日、宮崎日日新聞の10面、文化欄に、次の記事が掲載されて、驚いた。

      吉野ケ里遺跡「謎エリア」調査

      過程見せる発掘注目引く

      県、結論急ぎ批判も

   吉野ケ里遺跡(佐賀県吉野ケ里町、神埼市)の手つかずだった「謎のエリア」

  での石棺墓の調査で、県が掘り進める様子を連日報道公開する「見せる発掘」

  は新発見への期待を高め、注目を集めた。ただ、副葬品などが出土しなかった

  にもかかわらず「弥生時代後期の有力者の墓」と、県が結論付けたことに有識

  者からは「根拠が不十分だ」との声が出ている。(中略)

   結局、墓の構造やサイズは判明したが、鏡や土器といった被葬者の身分や

  時代の特定に迫る出土品はなかった。それでも「総合的に考えて」(県幹部)、

  階級は分からないものの弥生後期の有力者の墓と断定した。

   性急にも思える県の総括に対し、考古学者からさまざまな指摘が出ている。

  福岡大の武末純一名誉教授は「考古学は宝探しではない。何もないことも一つ

  の結論で、今回の墓が佐賀県東部地域でどういう意味を持つのか考えないと

  いけない」と話す。今回は調査範囲が限定的だったことから、佐賀大の重藤輝

  行教授は「もっと周辺の調査が必要。学問的に結論を結論を絞り込めないこと

  を伝えることも重要だ」と説いた。一方、福岡大の小田富士雄名誉教授は、県

  の結論自体は誤りではないとしつつも「知事もマスコミも邪馬台国を意識して

  騒ぎ過ぎた」と批判した。

○こういう記事を誰が書いて、どういうふうに発表したのだろうか。この新聞記事を読んで、納得する人は誰も居ない。これこそ、やらせそのものではないか。そう疑われても仕方の無い記事である。ひどいなあ、こんなことまでするなんて。つい、そう思ってしまう。

○何故なら、この新聞記事には、根拠となるものが何一つ存在しない。まさにやらせそのものの感が強い。そうすることで、ちゃっかり吉野ケ里を売り込もうとする魂胆が見え見えである。そこまでして吉野ケ里を宣伝したいのか。

○新聞とは、事実を報道することにあるのではないか。こういうとんでもないコマーシャルに加担して、何か良いことでもあるのだろうか。そんなふうに思われても仕方の無いことである。火の無いところに、煙は立たない。

○当古代文化研究所では、佐賀県の吉野ケ里大騒動を受けて、2023年6月16日に、ブログ『吉野ケ里騒動始末記』を書いて、この話に決着を付けたばかりである。

  ・テーマ「海の民の肥国をさるく」:ブログ『吉野ケ里騒動始末記』

  吉野ケ里騒動始末記 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○これで終わりだろうと思っていたら、2023年6月22日付の朝日新聞文化欄の記事『吉野ケ里 ライブ配信に熱視線』が出て、驚き呆れた。佐賀県はこんなことまでするのか。それにマスコミはどこまで追従すれば気が済むのか。それが次のブログになる。

  ・テーマ「海の民の肥国をさるく」:ブログ『吉野ケ里 ライブ配信に熱視線』

  吉野ケ里 ライブ配信に熱視線 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○判ることは、ブログ『吉野ケ里騒動始末記』からブログ『吉野ケ里 ライブ配信に熱視線』、今回の新聞記事まで、全部トーンが同じであることである。つまり、発信者は佐賀県なのである。もしくは、それに追従するマスコミのでっち上げ記事に他ならない。

○もうそういう時代ではない。卑弥呼も邪馬台国も唐突に出現することはあり得ない。吉野ケ里にそういう気配は何処にも存在しない。「三国志」を読むと、三世紀の、魏国が認識する倭国三十国が、次のように案内されている。

  【渡海三国】
    ・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
  【北九州四国】
    ・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
  【中九州二十国】
    ・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
    ・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
    ・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
  【南九州三国】

    ・投馬国・邪馬台国・狗奴国

○また、「万葉集」を読むと、邪馬台国三山が次のように案内される。

  ・うねびやま=霧島山(1700m)

  ・かぐやま=桜島山(1111m)

  ・みみなしやま=開聞岳(924m)

○さらに、「古事記」では、九州四国を次のように記録している。

  次生、筑紫島。此島亦、身一而、有面四。面毎有名。故、筑紫国謂、白日別。

  豊国、言、豊日別。肥国、言、建日向日豊久士比泥別。熊曾国、言、建日別。

整理すると、次のようになる。

  筑紫国:白日別

  豊国:豊日別

  肥国:建日向日豊久士比泥別

  熊曾国:建日別

○つまり、古代に於いて、九州の中心は『肥国:建日向日豊久士比泥別』だったのである。当時の肥国は薩摩半島から松浦半島までだった。その中心は薩摩半島だった。それが三世紀の九州の状況である。

○それに卑弥呼の現住所もはっきりしている。それは鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島になる。日本はここから始まった。それが日向国になる。その日向国は「日向=ひむか」であって、それを「三国志」は卑弥呼と記録している。つまり、日向国とは『ひむかのくに』であって、卑弥呼の国の謂いである。

○「日本書紀」も日向神話を記録して、天孫降臨の世界山が霧島山高千穂峰だと明記している。つまり、「三国志」、「古事記」、「日本書紀」、「万葉集」と、全てが指示するところが日向国となっている。吉野ケ里の佐賀県に何があると言うのか。是非とも教えて欲しいものである。