邪馬台国の風景 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○『天草:大矢野島の旅』と題した今回の旅を振り返って、ブログ『『天草・大矢野島の旅』を振り返って』、『肥国:建日向日豊久士比泥別の国』、『自末盧國至女王國二千餘里』と続けている。今回は、『邪馬台国の風景』と題して、邪馬台国の様子について述べてみたい。

○前回、詳しく触れたが、佐賀県が吉野ケ里遺跡の発掘を喧伝して、邪馬台国だとか、卑弥呼の墓だとか言って止まない。佐賀県や吉野ケ里遺跡が邪馬台国であることは、あり得ない。そのことは「三国志」を読むと、はっきりする。

○「三国志」には、帯方郡から邪馬台国まで、「萬二千餘里」だと明記している。また、帯方郡から末盧國までが、ちょうど「一萬里」だとも、記録している。つまり、末盧國(松浦半島)から邪馬台国までは「二千餘里」であることが判る。

○しかし、実際、末盧國(松浦半島)から吉野ケ里遺跡までは「一千餘里」も無い。それで吉野ケ里遺跡が邪馬台国であることはあり得ないことが証明される。これは、誰が、何時、何処で、読んでもそうなる。こんな簡単なことが佐賀県や佐賀県文化財保護・活用室には理解できない。

○忘れてはならないのは、邪馬台国も卑弥呼も「三国志」に書かれた史実であると言うことである。「三国志」は中国の正史であって、世界の名著と評される歴史書である。どこにでもある書物とは全然別物なのである。邪馬台国を語るのに、「三国志」を離れて語ることは誰にもできない。それは真っ赤な嘘である。したがって、佐賀県や佐賀県文化財保護・活用室の話は、まるで信用できない嘘である。

○前回の最後に、こう書いた。

  ・すでに、邪馬台国は完全発見されている。卑弥呼にしても同様で、卑弥呼は

  今でも日本中に斎き祀られている。何もご存じ無い佐賀県には、文化は無いの

  だろうか。文化は耕さない限り、得られない。

○今回、その邪馬台国が何処であるかを、はっきりさせたい。それは、当然、「三国志」に記録されている。「三国志」倭人条の主題は倭国三十国の案内にあって、それを陳寿は次のように見事に表現してみせる。何とも感動的な表現となっている。

  【渡海三国】
    ・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
  【北九州四国】
    ・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
  【中九州二十国】
    ・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
    ・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
    ・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
  【南九州三国】

    ・投馬国・邪馬台国・狗奴国

○つまり、邪馬台国は旧日向国にあって、それは、後世、次の三国に分かれる。

  薩摩国=邪馬台国

  大隅国=狗奴国

  日向国=投馬国

○どうしてそれが判るかと言うと、邪馬台国には次の邪馬台国三山が存在するからである。

  ・うねびやま=霧島山(1700m)

  ・かぐやま=桜島山(1111m)

  ・みみなしやま=開聞岳(924m)

○その邪馬台国三山のレプリカが奈良県橿原市に存在する大和三山になる。

  ・畝傍山(199m)

  ・香具山(152m)

  ・耳成山(140m)

○つまり、『邪馬台国の風景』とは、邪馬台国三山の風景であることが判る。邪馬台国三山は邪馬台国の国名を冠せられた山なのである。当然、邪馬台国三山が邪馬台国を代表する風景であることは間違いない。もともと大和国名は、此処から発している。邪馬台国三山を研究すると、そういうことが判る。

○だから、いくら、佐賀県や佐賀県文化財保護・活用室の方々が吉野ケ里遺跡が邪馬台国だと発言なさっても、それは真っ赤な嘘であることがはっきりする。佐賀県に邪馬台国の何があると言うのか。教えていただきたいものである。

○邪馬台国は、決して、それだけで終わりでは無いのである。邪馬台国は畿内に移動して行って大和国となる。移動して行った人々が故郷を懐かしんで、故郷の山々の名を冠した。それが大和三山である。したがって、大和三山はレプリカであることが判る。

○そんな絵空事は誰も信用しない。そんなふうにおっしゃるかも知れない。しかし、残念ながら、そのことは「古事記」「日本書紀」「万葉集」の全てが証明していることだから、誰も否定できない。そういう話を一つ二つしておきたい。

○まずは、「古事記」「日本書紀」から。「古事記」や「日本書紀」を読むと、日本の始まりは日向国となっている。それは日向神話として語られる。その地上神話の始まりは、彦火瓊々杵尊の天孫降臨神話となっている。

○そんなことは誰でも知っているとおっしゃるかも知れない。では、彦火瓊々杵尊は何処に天孫降臨なさったのか。そして、彦火瓊々杵尊がそこで見た風景とは。さらに、彦火瓊々杵尊がそこで最初に発した言葉は。日本の神話学者先生ですら、この質問に正確に答えられない。

○当古代文化研究所では、そういう研究をしている。彦火瓊々杵尊は天孫降臨なさった山は高千穂峰と言う。その高千穂峰は霧島山の一峰なのである。つまり、天孫降臨の山とは、邪馬台国三山の一つ、『うねびやま=霧島山(1700m)』であることが判る。日向国を研究すると、そういうことが判る。

○もう一つは、「万葉集」から。私見によれば、「万葉集」には香具山が十四回、畝傍山が六回、耳成山が三回記録されている。誰も発言なさらないが、大和三山を最もよく記録しているのが「万葉集」なのである。その大和三山の一つ、香具山には枕詞が存在する。それがどういう枕詞であるか。ご存じだろうか。

○香具山に掛かる枕詞は「天降り付く」と言う。その枕詞「天降り付く」について、万葉学者先生は何もご存じ無い。と言うのも、万葉学者先生は大和三山がレプリカであることすら、ご存じ無いのだから。それでは到底、枕詞「天降り付く」を理解することはできない。

○当古代文化研究所では、もちろん、枕詞「天降り付く」についても、解決済みである。今年2023年1月8日に見た、最新の枕詞「天降り付く」情報である。

  ・テーマ「日向国の万葉学」:ブログ『天降付く天の香具山の風景』

  天降付く天の香具山の風景 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○すでに、邪馬台国は発見されているとは、そういうことである。佐賀県がいくら奮闘努力したところで、それは無駄と言うものである。まずは「三国志」を読んで、それから「古事記」「日本書紀」「万葉集」を読んで、いらっしゃい。その全てが邪馬台国が何処であるかを教えてくれる。