天草五橋 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○最近だけでも、2022年6月21日~23日、7月7日、8月4日5日、8月26日~28日、2023年3月6日~8日と、都合5回も天草を訪問している。すべて、テーマ「海の民の肥国をさるく」探求の旅であることは、言うまでも無い。

○当然、天草五橋についても、何度も書いているとばかり思っていた。しかし、意外に、天草五橋については書いていないことが判った。おおよそ、次のブログくらいではないか。

  ・テーマ「海の民の肥国をさるく」:ブログ『天草五橋』~2023年1月3日~

  天草五橋 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

  ・テーマ「海の民の肥国をさるく」:ブログ『天草パールライン』~2023年1月4日~

  天草パールライン | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

  ・テーマ「海の民の肥国をさるく」:ブログ『天草東海岸の旅:天草五橋』

   ~2023年3月27日~

  天草東海岸の旅:天草五橋 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)

○つまり、全て、今年になって書いたものばかりである。と言うのも、最初の頃は、牛深から天草へ入っていたので、天草五橋を通ることが無かった。宇土半島から天草へ入らない限り、天草五橋や天草パールラインを通ることは無いわけである。

○せっかくだから、天草五橋について、再度、書いておきたい。ウイキペディアフリー百科事典が案内する天草五橋は、次の通り。

      天草五橋

天草五橋(あまくさごきょう)は、熊本県宇土半島先端の三角(みすみ)から、天草諸島大矢野島永浦島、池島、前島を経て天草上島までを5つの橋で結ぶ宇城市から上天草市にかけての連絡道路である。1966年(昭和41年)9月24日に開通した。

国道57号の五橋入口交差点から宇城市三角町で分岐して上天草市大矢野町飛岳へ第一号橋(天門橋)で渡り、登立・江後を経て大矢野島を縦断し、第二号橋(大矢野橋)で満越から永浦島、第三号橋(中の橋)で池島、第四号橋(前島橋)で前島へと経て、第五号橋(松島橋)で松島町会津へと至る総延長17.4 kmの区間である。天草五橋は当初は償還期間39年を見込んだ有料道路であったが、開通により天草への観光客が急増し、モータリゼーションの進展なども含めた交通量の増大によりわずか9年で償還を完了して無料化された。

一号橋から五号橋の間の国道266号および路線に重複する国道324号の約15 kmのルートは、天草で真珠の養殖が盛んなことから天草パールラインと名付けられ、1987年(昭和62年)8月10日に、旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された「日本の道100選」にも選ばれている。

  天草五橋 - Wikipedia

○別に、次のページもある。

      天草五橋

昭和41年9月に開通した、九州本土と天草諸島を結ぶ全12kmの5つの橋。1号橋(天門橋)、2号橋(大矢野橋)、3号橋(中の橋)、4号橋(前島橋)、5号橋(松島橋)からなり、「天草パールライン」の愛称で親しまれています。
「天草に五つの橋を架けて陸続きにする」、という途方もない夢を持った森慈秀氏は、天草五橋建設の立役者。今では定番の観光スポットになり、人気のドライブルートになっています。

  天草五橋 | 観光スポット | 【公式】熊本県観光サイト もっと、もーっと!くまもっと。 (kumamoto.guide)

○もう一つ、参考までに。

      天草五橋

九州本土と天草諸島を結ぶ橋で、昭和41年完成。三角から大矢野島・永浦島・大池島・前島を経て天草上島まで5つの橋で結ばれている。

  1号橋(天門橋):三角と大矢野島を結び、五橋の中で最も海面からの高さがある。

  連続トラス形式。
  2号橋(大矢野橋):大矢野島と永浦島を結び、ベージュ色のアーチが特徴。

  ランガートラス形式。
  3号橋(中の橋):永浦島と大池島を結ぶ。PCラーメン形式。
  4号橋(前島橋):大池島と前島を結び、五橋の中で一番の長さ(510m)

  を誇る。PCラーメン形式。
  5号橋(松島橋):前島と天草上島を結ぶ赤い橋。パイプアーチ形式。

  またここから、眺める夕日は『日本の夕陽百選』にも認定されている。

  天草五橋 - 熊本県天草観光ガイド (t-island.jp)

○天草五橋が開通したのは、昭和41年(1966年)のことだと言う。それで天草の生活が激変したことは間違いない。多くの観光客が大挙して押し寄せた。そういうことは昭和24年生まれの当古代文化研究所にも、強烈な印象として残っている。

○また併せて、高速道路の整備も見逃すことはできない。九州自動車道が松橋ICまで来たのは、昭和53年(1978年)のことである。八代ICまで開通したのは昭和55年(1980年)のことだと言う。当時、多くの観光バスがこぞって天草を目指した。

○後日、書くことになるが、今回の宿泊先は小松屋渚館と言うホテルだった。ホテルの窓から日の出と夕陽が見えるホテルで、天草五橋のうち、四橋が眺望でき、おまけに温泉まであると言う、何とも優れもののホテルだった。