○インターネットで、「鐘崎教会」を検索すると、福岡県宗像市鐘崎の教会とか、神崎教会、黒崎教会などがヒットして、肝心の鐘崎教会が出て来ない。「福江島 鐘崎教会」と入力することで、やっと鐘崎教会が出て来た。
○ところが、ヒットするページは、次のような旅の案内ばかりであることに、驚く。
鐘崎教会
禁教令が解かれたあと、五島キリシタン復興の任を帯びて、フランス人宣教師フレノー、マルマン両神父が五島を訪れ布教にあたり、1879年にマルマン神父によって、五島における最初の天主堂(木造)が建てられました。
その後着任した、ペルー神父によって1908年に、現在のレンガ造りの教会堂が完成しました。建築の際には資材の一部がイタリアから運ばれ、内部は木造で色ガラス窓、コーモリ天井などの教会堂建築となっています。
現在は、弾圧の歴史や資料を展示する資料館として、一般公開されています。
1974年に、県の有形文化財(建造物)の指定を受けました。
堂崎教会 | 教会 | 五島の島たび【公式】- 長崎県五島市の観光・旅行情報サイト (nagasaki-tabinet.com)
五島列島福江島全13教会一覧ガイドマップ
鐘崎教会
1880年にマルマン師により堂崎に仮聖堂が建てられた。現在の教会は1907年にペリー師により建てられる。このときはまだ修行中だった後に教会建築の父と呼ばれる鉄川与助も加わっていた。赤レンガでできたゴシック様式の教会。内部は、リブ・ボールド天井になっている。
現在は教会の資料館としての役割も担っている。入館するには入場料が必要。
教会の前には、マルマン神父とペリュー神父の像、奥に見えるヨハネ五島殉教像などが建てられている。
五島列島福江島の全13教会一覧ガイドマップ | 五島列島ファン (gotofan.net)
○それは、「天草の﨑津集落」が世界遺産であるのと、全然趣を異にする。世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」には、何故か、福江島の教会は含まれていない。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成するのは、次の十二の資産となっている。
①大浦天主堂 ②外海の出津集落 ③外海の大野集落 ④黒島の集落
⑤平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳) ⑥平戸の聖地と集落(中江ノ島)
⑦奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)(五島市奈留島) ⑧久賀島の集落
⑨原城跡(南島原市) ⑩野崎島の集落跡(小値賀町) ⑪頭ヶ島の集落(新上五島町)
⑫天草の﨑津集落
○福江島が希望しなかったからそうなったのかも知れないが、そういう話も聞かない。まるで不自然な話である。福江島の教会を幾つか訪れたが、上記の世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する十二の資産に、少しも遜色ない。どうして、福江島の教会が除外されたかが、判らない。
○もともと文化とは、そういうものだろう。世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に必要不可欠な要素を福江島の教会は有している。それを除外しては世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」そのものが部分的な文化になるのではないか。
○特に、この鐘崎教会には、そういうものを感じる。鐘崎教会を含まない世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」自体が不自然ではないか。鐘崎教会を訪れて、そういうことを感じた。
○当古代文化研究所は、世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に無関係で、当古代文化研究所自体は仏教徒である。以前、中国の寧波で天主堂を見たことがあって、次のブログを書いている。もう十年も昔の話である。
・テーマ「寧波漫歩」:ブログ『寧波:天主堂』
○その中に、次の話を書いている。
・また、文中、
过去天主教堂的主教,实质上是披着宗教外衣,愚弄中国人民,
从事政治渗透活动的外交官。
の表現も凄まじい。日本語に改めると、
過去、天主教堂の主たる教えは、実質上、宗教的外衣を羽織った、
中国人民を愚弄する、政治的浸透を図る活動をする外交官として
従事することであった。
となるのではないか。もちろん、天主教堂とはキリスト教会を意味する。
・歴史的に見ると、全くその通りである。それでも、なかなか日本でこういうふうに
表現することは難しい。中国の検索エンジン『百度』、「宁波天主教堂」にはそれが
堂々と掲載されている。全く天晴れと言うしかない。
・ただ、日本流に考えると、その天主教堂を信奉し、崇拝する人々も居ると言う現実
がある。そういうことにも少しは配慮する必要があるのではないか。
○中国の検索エンジン『百度』、「宁波天主教堂」がこういう意見を堂々と載せていることに、驚いた。まさに凄いと言うしかない。歴史的にみて、こういう意見を無視することはできない。ただ、宗教には十分配慮する必要があるとも思う。
○今回、福江島で鐘崎教会を訪れて、そういうことを懐かしく思い出した。