獅子島 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2022年6月23日に、初めて獅子島を訪れた。前日訪問した御所浦島も魅力的な島だったが、獅子島もそれに劣らない魅力的な島である。まず第一、獅子島と言う名が何とも、恰好良い。

○ただ、獅子島について、ほとんど何も知らない。それで、大いに獅子島について、学習する必要があった。前回も案内しているが、改めてウイキペディアフリー百科事典が案内する獅子島から見ておきたい。

      獅子島

獅子島(ししじま)は、鹿児島県出水郡長島町を構成するの一つであり、鹿児島県の有人離島では最北に位置し、また県の最北端でもある。人口は約689人(平成27年)。

また、行政区画としての「獅子島」は長島町の大字となっており、獅子島の全域がこれに該当する。

獅子島には約1億年前頃の白亜紀層(御所浦層群)をはじめ、古第三紀始新世までの地層がみられ、アンモナイトや三角貝、首長竜などの化石が見つかっている。

室町時代の後期頃までの獅子島は、東仲島と呼ばれ肥後国(現・熊本県)に属していたが、当時の領主だった獅子谷七郎が、1565年(永禄8年)島津氏との戦に敗れ、以後その支配の下薩摩国(現・鹿児島県)に属するようになった。その後、前領主の姓をとって、獅子島に島名が変更された。

島は、雲仙天草国立公園にも入っており、「薩摩松島」などとも呼ばれる。また周囲は、リアス式海岸となっており、複雑な地形で釣りのポイントが多い。スキューバダイビングもできる。

漁業はその地形を生かし、ブリ・タイ・ヒラメ・アオサなどが養殖される。また農業では、甘夏みかん、バレイショなどが栽培される。

毎年4月に、獅子島招魂祭が開かれる。招魂碑のある島の最高峰・七郎山に登り、獅子谷七郎とその家臣たちを供養し、島の繁栄を祈願する。

  獅子島 - Wikipedia

○これから判るように、江戸時代以前、獅子島は東仲島と呼ばれていたと言う。もちろん、その名は下天草島から命名されたものであることが判る。だから、東仲島なのである。つまり、下天草島の東に位置し、九州島との間に存在する島の謂いである。

○また、『鹿児島の島の散歩』と言うのに、獅子島が次のように案内されていた。

      鹿児島県 長島町にある獅子島(ししじま)。

   面積17.05平方キロメートル、周囲36.5キロメートル、標高392.9メートル、

  人口757人(2010年10月現在)。
   長島町の最北に浮かぶ有人島。獅子島は、長島町で唯一、架橋されていない

  有人島。諸浦島の諸浦港よりフェリーで行くことができる。また、天草側から

  だと、天草下島の中田港より獅子島行のフェリーが出ている。
   丘陵の地形で、入江ごとに集落がある。急な斜面を利用して柑橘系の栽培も盛ん。

   室町時代、獅子島は、『獅子谷七郎』が領主であったという。領主の名前から、

  獅子島という名前がついたという。また獅子島の最高点は、”七郎山”と、これまた

  領主の名前からとられている。
   1565年に島津氏敗れ、島津藩の領地になったという。
   北東には化石で有名な御所浦の島々があるが、獅子島も化石で有名な島のひとつ。
  白亜紀の地層が露出しており、アンモナイトや恐竜の化石が発見されている。

  獅子島化石パークなどの見どころがある。

  獅子島『島の散歩』 (shimanosanpo.com)

○そういう意味で、島の名が獅子島で、獅子島の最高点が”七郎山”と呼ばれている意義は大きい。ウイキペディアフリー百科事典に、

  毎年4月に、獅子島招魂祭が開かれる。招魂碑のある島の最高峰・七郎山に登り、

  獅子谷七郎とその家臣たちを供養し、島の繁栄を祈願する。

とあるように、獅子島領主であった獅子谷七郎が滅亡してから五百年も経っていると言うのに、獅子島の人々は、今でも、獅子島招魂祭を催していると言うのは、気になる。

○インターネットでいろいろ検索していたら、次のページがヒットした。

      獅子島神社

    ・神社名:獅子島神社

    ・神社名カナ:シシジマジンジャ

    ・鎮座地:〒899-1501 出水郡長島町獅子島3162

    ・例祭日:旧九月九日

  【御祭神】

    獅子谷七郎霊(シシタニヒチヨウノミタマ)

  【由緒】

創建年代は不詳であるが、口碑によれば、永禄八年島主獅子谷七郎は、島津忠兼公が天草越前守と戦の時、獅子島の高嶺の城から忠兼公を迎え撃ち、雉の矢に射られて戦死したという。その後祭神主従の怨霊により、島民は雉の肉を食すれば腹痛を起こし死亡し、雉の名を呼ぶことさえ憚った。雉を不言の鳥と呼ぶ習慣となり、斯かる事情により霊を慰め、以て全島の守り神として奉斎するに及んだという。

また、獅子島の由来は、当時の島は鹿が多く一般に鹿を「しし」と呼んでいたからとも、当社祭神の故事により雉棲といったことからとも云われる。

  獅子島神社 | 鹿児島県神社庁 (kagojinjacho.or.jp)

○これに拠ると、獅子島の名は、鹿や雉に由来するとも受け取れる。諸説あって、なかなか定め難い。ただ、獅子谷七郎が獅子島の英雄であったことだけは、間違いないようである。